昔、「例のあの期間」があった。
余剰博士という言葉に怯え、博士課程の扉は空いていても入るのを恐れた期間。
進路決定はギリギリ。いや、今になって思えば一般企業への就職の道を進むには遅かったんだと思う。
だけど、本当に博士課程に進むかどうかはギリギリまでわからなかった。
母は何も言わなかった。ひとつだけをのぞいて。
自分のことだから自分で決めなさい。当たり前のことだけを言った。
当たり前のことを言いながらどれだけ心配したかはわからない。
週に一度ゼミがあるだけだったから、家にこもって研究した。勉強した。
精神的にはフラフラだった。母は、それでも栄養を考えてご飯を作り続けてくれた。
時々、散歩でもしない?と外に連れ出してくれた。
青い空を一緒に眺めた。綺麗な花だねぇって言ったと思う。花、好きだったから。
多分、僕はどうでもいいことだと感じたと思う。
そうやって、支えて、最後まで何も言わずに見守ってくれた。
だから、扉を開く覚悟もできたんだと思う。
これは自分の問題だ。自分の責任で人生を切り開かなければならない。
みんなが進まないような道だから、怖いけれど、
余りモノと呼ばれるのは怖いけれど、それでも進む。
甘えた自分との戦いがあった。心は幾つもに分離した。
たくさんの精神を持つ自分が生まれた。
最終的に、甘えた自分を倒すことで、前に進むことができたんだ。
これは、母が何も言わずに僕の答えを待ってくれたからできたこと。
必要なのは、能力だけじゃない。知識だけじゃない。「覚悟」だった。
だから、いまの自分があるのは間違いなく母のおかげ。
だけどさ、今回も同じ方法を使うか?
「お母さーん」って甘える自分を倒すのか?
倒したくない。消したくない。それが、母の前で過ごした正直な自分だから。
お前の役割は終わりだ。いつまでも悲しむお前を消す。
なんて、それはしたくないんだよ。
お母さんは、すべてを温かく包んでくれた。
心を休ませてくれた。安らぎをくれた。安心して頑張れるような言葉をたくさんくれたんだ。
これだけは失いたくない。
魂の融合。
心に母を宿し、いつでも話ができる状態にしたいんだよ。
「お母さん、お母さんの天国はここだって言ったよね」
ずっと一緒だから。ずっと、僕の心の中で生きてもらうから。誰にも渡さない。