生後4日目

母の葬儀の日取りが決まりました。

 

5日(火)がお通夜、6日(水)が告別式です。

 

冬は亡くなる人も多く、火葬場が空いていないということで、

母は少し長く家にいることになりました。

腐敗を防ぐために、エンバーミングという処置に出かけて行った母は、

1泊2日で昨日家に戻ってきました。

出かける前の表情はとてもにこやかな表情をしていましたが、

その表情が変わってしまいました。

 

9月16日に体調不良を訴えてから2ヶ月半。

母はこの世から居なくなってしまいました。

当初は検査が続き、病気の情報が最初に私に届いたのは10月13日のことでした。

それからたった1ヶ月半で、母はこの世から居なくなってしまいました。

 

1ヶ月半、毎週実家に帰って、週の半分は母と過ごす日々を送っていました。

変化の様子を感じていたにも関わらず、それでも現実を受け止めることができません。

理解ができないことが起こっているから、

「本当なの?」という気持ちをまだ抱いているくらいです。

 

お母さんってめちゃくちゃ大きな存在じゃないですか。

 

人生というのは、お母さんがいる時といない時で完全に区別されると思います。

「お母さんがいる時」はもちろん無条件に幸せな時間です。

そして、「お母さんがいない時」なんて人生の終末期というか、

活力も気力も湧いてこないし、喜びも幸せも希望もない、生き甲斐なんてあるわけがなく、

空虚で無意味な時間です。

 

「子どもが元気にしているのが親は1番嬉しい。

だから悲しんだり泣いてばかりいてはお母さんが悲しむよ。」

とか、そんな感じのことを親戚の方は言ってくれますが、

それは頭では理解できますが、実際、無理ですよ。

 

だって、これから何をどれだけ頑張っても、お母さんに会えないんですもん。

頑張る意味とか、正直なところないですよね。

 

まさに、お先真っ暗、です。

 

ただ、この2ヶ月半、母の闘う姿を見てたくさんのことを学ばせて頂きました。

病気でも自分らしく生きること、病気でも周りの人を気遣うこと。

71歳という年齢でなければ、最期の迎え方として

これ以上ないくらい素敵な最期と周囲が解釈できるような行動をして旅立っていきました。

 

私は悲しくて辛くて、涙がいくらでも出るのだけれど、

心のどこかで、救いがあると思わせる亡くなり方。

 

でも、つらい。

 

僕は生まれて初めて、お母さんがいない世界に来てしまったわけですから。

今までは、お母さんは家にいる。これがどれだけ安心感になっていたことか。

 

まだ、僕は生後4日目に過ぎません。

お母さんがいない世界に生まれて4日目の朝です。

 

すぐに立ち直れ、とか、泣いてはダメ、とかできるわけがありません。

悲しいですよ。お母さんの声が聞きたいですよ。

もう一度、名前を呼んで欲しい。

他に何もしてくれなくていいから、ただ話がしたいです。

 

夢も、希望も、ないよ。

 

だって、お母さんだよ。大切すぎるよ。無理。

 

もっと喜ぶことをたくさんしていたら、病気にもならなかったのかなぁ。

今になってやりたかったことがどんどん溢れてきます。

 

世界から、優しさが消えてしまった。温もりが消えてしまった。

心から笑える日なんて絶対に来ないよね。

これからは、そんな感じです。

 

でも、やることは毎日ある。仕事に限っては意味のないことばかり。

 

1ヶ月半、毎週帰って、お母さんと一緒に病気と精一杯闘いました。

みんなヘトヘトです。身体にいい食べ物を一生懸命勉強して、作ったり買ってきたり。

病院で一緒に過ごしたり、薬を取りに行ったり。

マッサージしたり、足ツボを押したり、体温で身体を温めたり。

手を繋いで、抱きしめ合って、温かみを感じたり。

母が寝ているベッドの下に布団を敷いて、たくさん話をして一緒に寝たり。

抱き抱えて一緒にトイレにもいきました。おむつも交換しました。

病気でお腹が膨れてきたので、おむつも脱がせなくて、ハサミで切って引っ張って、

見ないようにして脱がせて、新しいのも切り目を入れて少し広げて履かせて。

抱き抱えてトイレに行くのも最後はやっとの思いで行きました。

その時の辛そうな表情は、目に焼き付いて離れません。

 

それでも、母は、僕にたくさんの優しい言葉をかけてくれました。

自分が辛いのに、笑って話をしてくれました。

 

最期の言葉は宝物にします。ここでは書きません。

心の中に大切に閉まっておきます。

 

お母さん。たくさんの良い思い出を残してくださって、本当にありがとうございました。

 

ひとつ、できることがあるとすれば、それは…。