33日目•深夜

昨日は午後9時くらいにはもう眠くなって、

10時には寝てしまいました。

 

いつもなら、母と「ゆく年くる年」を見て「朝生」を見て過ごすけど、今年は母さん、いなくなってしまったから、何もすることがないんだよね。

 

去年、お母さんが居間で寝っ転がってテレビを見ている写真を撮りました。

去年、近所の神社に行って、一緒に写真を撮った。

おみくじを引いたら大吉だった。嘘ばっかり。

去年が大吉なわけないじゃないか。

最近、お詣りに行くと、母のことを願ってた。

いつまでも元気でいられますように、って。

だって、自分にはもう必要なのはそれだけだったから。

 

季節ごとに思い出すことがある。

新年になろうが、49日がこれから来ようが、

それで何かが変わるわけはない。

悲しくて、母を大切に思った分だけ痛みになる。

痛みが、母を大切に思った証なんだ。

 

母がいない。それは、自分自身もいないのと同じこと。

だって、年末年始は母と過ごすのが恒例だったから。

 

人は、いろんな自分を自分の中に形成している。

出会った人それぞれの前で見せる自分。

母がいなくなってしまったら、母の前で振る舞う自分まで死んでしまったのと同じこと?

お母さんの前で話す話し方、もうこの先しないんだ…。

自分の中の何割くらいが、母の前で存在しうる自分だったのかな。

 

心の拠り所、という意味では80%から90%に近いかもしれない。

安心していられる場所、本当の自分が出せた場所。

 

大いなる喪失です。自分の大部分が死んでしまった。スカスカです。

力の根源が絶たれてしまったからなぁ。

心の痛みが体の痛みになって出てしまっている。

 

力が出ない。