18日目・夜

お母さんがいない、なんてまだ「嘘でしょう?」と思ってしまいます。

42年間いるのが当たり前だったんだから。

ハイ、もう2度と会えません、頑張って生きてください、

という状況はあまりにもつらいです。

 

自分の親は長生きするって、みんな根拠もなく思うものでしょうか。

僕に場合は、まだ母方の祖母も生きていてくれているから、

勝手に娘の母も長生きするんだろうなって思い込んでしまいました。

やっぱり、田舎で良い空気を吸って過ごすのと、都会で過ごすのとでは違ってしまったのかな。

 

精神がつらいと体もしんどい。

蛇口をひねって出てくる水に触れるだけも痛いと感じます。

 

残されたものはとても悲しい気持ちを抱えて生きています。

お母さん自身も、今年自分の生涯を終えることになるなんて思っていなかったから、

少なくとも9月15日は思っていなかったから、本当につらかったと思います。

 

病院ではなく、家で最後を過ごすことにして、それ自体は良かったと思いますが、

本当にあっという間でした。介護用ベッドを居間に置いて、家で処置を受けられるようにしました。

家族の前で、死んでいったお母さん。

 

まだ、100も1000も10000もやりたいことがある、と言っていました。

そのうちの何個が、僕と一緒に出来たことだったのでしょうか。

 

僕だってそうだよ。

一度実家を離れてしまったけれど、また戻ってお母さんと暮らしたいと思ってた。

実家に戻るという選択肢のほかにも、

逆に、群馬に来ない?って誘ったことも何度もあったよね?

この家どう?って。お母さん、この部屋に住んでさ、って。

 

いつも電話できたの、すごく嬉しかった。

「疲れてないかい?」とか「寒くないかい?」とか「風邪、ひくんでないよ」とか

いつも気にかけてくれた。「今日は何食べるの?」とかお互い報告しあって。

ニュースの話もしたし、テレビ番組の話もした。

家族のこと、親戚のこと、周りの人のこと、いっぱい話しました。

仕事の愚痴、言っちゃったな。ごめんなさい。

 

「ボーナス入ったよ。何か食べたいものある?」

「年賀状の柄、お母さん用に何種類も作ったから、楽しんで書けるよ」

ってこの時期だったら話してたなぁ。

笑い声、また聞きたいよ。

 

年末年始もさ、もっと帰ればよかったね。

クリスマスから正月までずっと帰ることだってできたんだよ。

だけど、研究したり、ゲームしたりして、大晦日くらいからしか帰らなかった。

何してたんだ。貴重な貴重な機会を捨てて。

 

クリスマス仕様のお母さんの手料理だってあったのに。

プレゼント買って帰れば良かったよ。子どものときに散々もらってたんだから。

 

もう、涙でボロボロです。