9月15日まで元気だったのに、9月16日から急変してしまった母。
ちょうど3ヶ月前になります。今はもう、住む世界が変わってしまい、
49日の日程まで決まってしまうほどになりました。
本当に、意味がわからない。
そんなにバッサリ人生を切り落とされてしまった母が、可哀想で可哀想で仕方がありません。
まだやりたいことがたくさんあったでしょうに。
去年の2月に股関節の手術をして、1週間で歩けるように回復し、
コロナ禍も世間では騒がれなくなってこれからという時にこの仕打ち。
近所のスーパー程度しか、まだ行ってなかったと思います。
見たいドラマ、最後まで見られなかったね。
一緒に植えた葉牡丹、生きてるよ。
サボテンも、お母さんのために買っていったんだ。邪気を払うからって、すごく喜んでた。
現代医学ではちっとも歯が立ちませんでした。
点滴をしたら一気に悪くなって、あっという間にお別れになってしまった。
いなくなってしまうと、本当に何も声が聞こえてこないですね。
写真に話しかけても、ただ優しい笑顔のまま止まってしまっている。
でも、今日はお母さんの話を聞いている夢を見ながら目が覚めました。
僕は、話を聞いていることの方が多かったからなぁ。相槌を打って、返事をして。
いや、そうでもないか、大学の話、結構しました。色々、聴いてくれました。
いつも明るくて優しくて、温かかった。
どうして平均寿命よりも先にいなくならなければならないのか。
いなくなったら本当に終わり。何も食べられないし何も話せない。
大粒の涙が今日もたくさん。