過ぎ去りし思い出

■経験がいま、思い出に切り替わる瞬間なのかもしれない
自分はそろそろ院生談話室を引退したほうがいいのかな。
この春で仲良くして下さった先輩や後輩がごっそりいなくなってしまうので、
院生談話室にいても「あの人誰?」みたいに思われてしまうかも。
あの部屋はもう、新しい人たちのものなのかもしれない。
思い出がしみこみすぎている院生談話室。独りぼっちだと居辛い気持ちになるときも。
M1/M2/D1 の3年間、とても恵まれた環境にいたことがよくわかりました。僕は幸せでした。
さようなら、僕の幸せ。本当に、いろんな人に支えてもらってたなぁ。
院生談話室。大切な場所であることに間違いはないです。
目を閉じて思い出したとき、嬉しくなれる経験をありがとうございました。
春からは寂しさに負けないで、もっともっと成長できるように頑張ります。
きっと独りじゃ何もできなかったんじゃないかな。そういう意味では、論文 1st/2nd/3rd は彼らとの共著なのかもしれません。
論文には書いてないけど、本当は書きたい Acknowledgement の続きの1行。


The author thanks his friends who entirely support his mental parts.


この1文があって初めて論文は完成するような気がする。書いちゃダメ?(I don't know how to thank them ….)
かねてよりの『心の模様替え』は大成功。こんな気持ちに出会えたんだから、ね。
論文完成はおまけみたいなものです。数学は人を成長させることができる素晴らしい学問だと思います。
こういう話は自分が卒業する時にするものかもしれないですが、「いま感じた」ということに意味があると思っていま言っちゃいました。
(さよならが辛すぎるのが自分の弱点かもしれないです…。)


しかしながら思い返してみれば、今回の寂しさは感じることが計画的でした。
「これ以上深く関われば、別れを言うときにこれまで感じたことのない寂しさを感じることになる。それでもいいの?」
「それでもいいさ。身を切るような寂しさこそが、共に過ごした時間が大切なものであったことを意味する証なのだから」
そんなやりとりが心の中であったことをいま思い出しました。成功が勝ち取れたと思って、精一杯寂しさを味わうことにしよう。


2006年度は問題を解いて論文の形に仕立て上げることに専念した active な過ごしかたでしたが、
2007年度はもう少し passive な気持ちになることにして、いろんな文献を読んで影響を受けようと思います。


D1終了を目前にして改めて感じることですが、「博士課程を経験する」ということは生き方としてすごく特別なことですよね。
『例のあの期間』の時点で想像していた課題は(事後処理が少し残っていますが)すべて達成しました。
さて、自分はこれからどうなっていくのでしょう?
ついつい先生に「D2になるにあたっての心構えとして何かアドバイスがあればお願いします」と聞いてしまいました。
答えは「特にないですよ」とのことでした。「D3は博士論文を書かなくちゃいけないから心構えが違うかもしれないけど、D2はこれまでと同じ」だそうです。
身を切るような寂しさを感じ終えたら、また思い出を探す旅が新たに始まっていくのかな。
「これから進むべき道がもし闇でしかないのなら、俺自身が光となってその闇を照らしてやる」。これは1年前の気持ち。
「ゴールに辿り着いたときにだけ見られる新しい夢は、ゴールに辿り着かなくちゃ見られない」。これは半年前の気持ち。
いまの自分にはどんな言葉が必要なんだろう。
「D2 になるにあたっての心構え」。ちゃんと自分で決めなくちゃいけないことでしたね。アンケートを集計しているのとは違うのだから…。