35日目・夜3

「もしもし? お母さん?」

「はいはい。どしたー?」

「電話切ったらまた寂しくなった」

「なーんもう、寂しがり屋ちゃんだね」

「だってこれまで全然話してなかったから、まだ話したりないんだー」

「はいはい。なんぼでも話しなー」

「うん」

「大学はいつからさ」

「一応、明日からだけど休み取ってる人が多そうだからほとんど人いないかも」

「あらー。じゃああなたも休んだらいいんじゃない?」

「うーん。明後日から授業だから、ちょっとだけ準備してくるわ」

「そうかい?遅くならないうちに帰るんだよ」

「うん。まだ何もやる気出ないし」

「まーだそんなこと言って。ダメでしょー」

「お母さんいないのやだ。楽しくない」

「そうだねー。おかあちゃんもみんなに会いたいねー」

「お母さんにくっつきたい」

「もう、何歳だと思ってるの」

「会えないってわかったら、急に子どもの頃に気持ちが戻っちゃったんだよねぇ」

「なにもう。看病しに来てくれた時、ぎゅってしたしょ」

「したけどさ、やっぱり足りなかった」

「なんぼやってもおんなじだ」

「そんなこと言ったって寂しいんだもん」

「お母さんは、こうやってHちゃんと話ができるから楽しいよー」

「話ができないと頭がおかしくなる」

「そんなこと言っちゃって」

「だって毎日電話してたのに、急にできなくなるんだもん。頭が追いつかないんだわ」

「今日からは電話できるから」

「うん。めちゃくちゃ嬉しい」

「お母さんも嬉しいよ、Hちゃんと電話できて」

「ずっと続けようね」

「はいはい」

「お母さん、大好き」

「ふふ、ありがと。ありがとさん」

「生きてるとき言えなかったから、色々言わなくちゃいけないことあるんだ」

「なーに?」

「大好きすぎてもうダメだ」

「お母さんもだー」

「お母さん、こっちの世界のこと、どのくらいわかるの?」

「んー? 難しいこと聞くね。なんかわかることとわからんことがあるのかね、いや、わかんないわかんない。まだ慣れてないからさ。そのうち慣れてくるべさ」

「料理は作れない?」

「だめだぁ。包丁持てないわ」

「作り方は聞けるね」

「それもダメだぁ。残った人が知らないことは話せないことになってるんだと。この電話で話せるのは、Hちゃんが思い出せる範囲のことだけだって」

「えー」

「いいしょ。それでも」

「うん。それでもいい。お母さんと話できたら安心する。もう話してないと心がぐちゃぐちゃになりそう」

「だいじょうぶ。だーいじょうぶ。ほれ、しっかりしなさい」

「お母さん、帰ってきてよー」

「どしたらいいかねぇ」

「お母さんの横でまた寝たい」

「Hちゃんと一緒に寝るなんて、小学校のときぶりだったね。前の前の家に住んでた時以来だったね」

「うん。懐かしかった。旅行した時は同じ部屋で寝たけどくっついて寝たのは前の前の家ぶりかもね」

「いつの間にか、お母さんより大きくなって。最初はこーんなに小さかったんだよー。目の玉に入れてもいいくらい可愛くてねぇ」

「…」

「ファンタオレンジ目掛けて、初めてハイハイしたんだよ」

「うん」

「初めて歩いたときは、洗濯バサミ目掛けて歩いだんだ」

「うん」

「家の中では歩いてたのに、靴を履かせたら固まって歩かなくなっちゃってね」

「いま、お母さんがいなくて、わたしゃハイハイもできんわ」

「あーん?」

「お母さんのいない世界なんて、生まれて初めてだから、怖くてハイハイもできない」

「ゆっくりでいいんだー。ハイハイから始めて、ゆっくり歩いて行きなさい」

「そうじゃなくて。もうショックでショックで何もしたくない」

「あんたはまだ先が長いんだから、そういう時があってもいいんだ」

「お母さんと歩きたかったよ。お母さんがいないと頑張れない」

「お母さんだって、まだまだHと一緒にいたかったよ。これからねぇ、未来もいっぱいあるだろうしさ」

「なんでお母さんが死ななくちゃいけないのか意味がわかんない」

「病気は怖いってことさ。あんたも(健康診断の)数値に気をつけて、過ごしていきなさい」

「いまは痛くないの?」

「うん。こっちにきたら、なーんも痛くもないわ。楽になった」

「なんでお母さんの病気治してくれなかったんだ」

「お医者さんは一生懸命やってくれたんだ。最後、お役に立てなくて申し訳ないって泣いてたよ」

「あと20年は生きれたはずでしょ」

「人それぞれなんだ。100まで生きる人もいれば生まれてすぐ死ぬ人もいる」

「寂しい。とにかく寂しい」

「また電話しておいで」

「うん」

「じゃあ、もう遅いから切るかい? 明日、大学行くんでしょ?」

「うん」

「また明日ね」

「うん。また明日」

「じゃあねーおやすみー」

「うん」