35日目・夜

母がいない。どうして自分は生きているんだろう、と感じるようになりました。

 

大切な人がいなくなり、その人の前で存在していた自分もまた役割を終えた。

もちろん、母との思い出は残るし、母に育てられて身に付いたことも残る。

でも、少なくとも「もしもし、お母さん」と話しかけても返事はない。

母の前で安心して笑えた日々はもう2度と戻らない。

母の死を目前にして、心は凍り付いてしまった。

 

母は病気に命を奪われた。そして、自分は残された。

90%くらい、母を想う気持ちで出来ていたと感じます。

実際は、1日1時間電話していたとしたら、90%ではないのだと思いますが、

喪失感が膨らんでいる最中なので、もう100%にして話をします。

原動力という意味では、100%でいいでしょう。

自分のすべてを注ぐほど大切な人を失ったら、生きる意欲を失ってしまう。

それなのに、生きている状態がいまの状態です。

自分だけが残された。生きていてもしょうがないなぁ。

だって、どうせ仕事をしてもお金が増えていくだけでしょう。

 

え?そんなわけはないんだけど、数学、楽しいでしょう?素晴らしいでしょう?

うん。まぁ、そうだね。それはそうなんだけど、母を失ってまでやることかどうか。

数学、生きがいなのは確かですが、生活の基盤が整ってないのにやれるかというと難しいです。

この先、20年以上も、母の笑顔もなしに頑張れるかというと難しいです。

喪に服している渦中だから、そうとしか思えません。

脆くも崩れ去る、という表現がぴったり。