大切な人の死を目の当たりにしたのだから、
当然、自分の死についても考えてしまうのは仕方がないことです。
とか言ったりするとめちゃくちゃ誤解されるんですよね。
はい、カウンセリング受けてください、ですもん…。
ちーがうんだって。
後追いして自殺しようと思ってるんじゃないんだって。
自分もあんな風に死んでしまうのかな、怖いな、
あと何回呼吸できるんだろう、死ぬ時寂しいのなんて絶対無理、怖すぎる、ってことなのに。
事故とかに巻き込まれて痛いのは絶対に嫌です。死ぬ時に苦しいのは嫌です。
そういうのをできるだけ避けて避けて、楽に死にたいなぁ。
いやもちろんすぐにじゃなくて。いつかは知らんけど。
でもまぁ、生にしがみつかない気持ちになるのは確かかも。
お母さんいないの寂しいし、痛くなくてコロッと行くならまぁいいのか?
いや、ダメか。まだコナンの最終回見てないし。
じゃなくて。
ああもう嫌だ。愛する人の死だよ。こえーよ。
可哀想すぎて、心が痛いんだ。
何してくれてんだ。平均寿命行ってないやんか。順番も逆だし。
まだまだ一緒に楽しみたいことがたくさんあったよ。
話、聞きたかった。いろんな景色をたくさん見たかった。
ふざけんな、お母さんを返せーーーー!
日常の生活に死の話は重いのだそうです。
だから、聞きたくなくて、カウンセリング行けになるんだそうです。
そりゃそうですよね。
ただ、こちらとしては普通の話を聞くのがきついのですが。
人生最大の悲痛を味わっているのに、世界中はどこ吹く風。どうでもいいよ、そんなもん。
そんなくだらないことを考えている場合かよ。
みんな、いつかは死ぬんだぞ。怖くないのかよ。
こんなくだらない会議すんなよ。もっとやすべきことがあるでしょうよ。
いやぁヤバイね。お母さんいないとかヤバイね。どう…しよう…。