40日目・夜

「もしもし?」

「もしもしー。今どこー?」

「んー家だー」

「今日は家にいたのかい?」

「いや、大学行ったー」

「行ったんだー。何時ごろ帰って来たのかい?」

「4時半に大学出て、何時ごろ帰ったかな。今日は歩いて行ったんだ」

「あらぁ、寒かったしょ。なんで歩いて行ったのさ。自転車でピューって行ってピューって帰ってくればいいのに」

「昨日も一歩も家出てないから、少し運動しようと思って」

「ふうん」

「大学で泣いたわ」

「あら、なんでさー」

「お母さんのデジカメのデータ、パソコンに移したんだ。そしたら一緒に撮った写真出て来てさ。なんでもう撮れないんだって悔しくて」

「ねぇ。悔しいねぇ。どんな写真あった?」

「⚪︎⚪︎公園のハートの建造物の所でお母さんとツーショット撮ってた」

「あらーお母さんも見たい」

「ほらこれ」

「あらなつかしー。これコロナの前かい?」

「どうだろうね。コロナの最中に車で来てくれた時かもしれないね」

「2年前くらいかい?」

「かねー。あーあ、もっとお母さんの写真撮っておけば良かった。動画も全然足りないよ」

「うちあんまりそういうの撮らなかったもんね」

「お母さんがこんなに好きなのに、なんでお母さんの写真集とか作らなかったのか不思議でたまらんわ」

「そんなもんだー。お母さんがある程度取ってて良かったしょ」

「お母さんからもらった手紙とか全部取ってあるから、それはもう少し時間が経ってから読み直すかな」

「見たら何書いてたか教えてね」

「うん」

「今日はご飯何食べた?」

「秋刀魚とシャケ焼いた」

「あらいいね」

「ご飯の前にね、⚪︎⚪︎さん(親戚のおばさん)に電話して1時間半くらいしゃべった」

「そんなになに話したの?」

「いや、お母さんいなくて寂しいって」

「そしたらなんて言ってた?」

「なんかさーみんなすぐ立ち直らせようとしてくるんだよね」

「ありがたいしょー」

「でもさ、そんなすぐ立ち直れるわけないじゃん。42年間も愛情かけてもらったのに、亡くなって1ヶ月で元気モリモリってありえないわ。頭どうかしてるとしか思えない」

「なかなかぴったり言って欲しいことなんか言ってもらえるわけないしょ」

「僕はマザコンだから無理なんです!ってなんも恥ずかしくなく言えるわ」

「あら、他所様でそんなこと言っちゃ恥ずかしいでしょ」

「もちろん、人を選んで言ってるけど」

「人様は何言うかわかんないから気をつけるんだよ」

「はいはい。みんなさ、悲しんでだらお母さん悲しむ、に持って行こうとするんだよ。お母さんの最期見てないからそう言うこと言うんだよね、きっと。最期見ちゃったら、そんな軽く終われないよ」

「あれね、つらかったわー」

「あ、ごめんごめん、思い出させちゃって。大丈夫?」

「う…ん…」

「(そっか、お母さんにとっても辛い思い出だから、今後はこの話題は気をつけなくちゃいけないな)

1月のお母さん、2月のお母さん、3月4月のお母さん。母の日何にも贈れない悲しさ。

これからいっぱい味わうことになるに決まってるもん。なんでみんな悲しみにフタをしようとするんだろ」

「心配してくれてるんだから、ありがたいことなんだ」

「そうだけど…。やっぱりお母さんの息子はひとりだから、1人しか味わえない特別なことなのか…」

「Hはね、お母さんに一生懸命色々やってくれたから、こうなっちゃったのも辛いよね」

「これだけ悲しめるのはいっぱい愛情をかけてもらったからだんだよね」

「そうだよー。お母さんいうも言うしょ。目の玉に入れても痛くないくらい可愛いって」

「うん。それを十分感じてたから、お母さんが1番大切だったんだ」

「ありがとねー」

「この電話してると安心から眠くなる…」

「あー寝な寝な、部屋あったかくして、ねー」

「うん、話の途中だけど」

「いいんだ。おやすみー」

「おやすみー」