39日目・夜

「もしもし?」

「はいはい。今何してるー?」

「お母さんいないとだめだ。もう耐えられない」

「ちょーっとちょっと。しっかりしなさい」

「できない。お母さんがいないと何もできない」

「そーんなことないしょ。お母さん、もうHのやること、立派すぎて何も手伝ってあげられないわ。

難しい研究だってお母さんには何にもわからないしねぇ」

「研究なんかやってる場合じゃないんだ。お母さんがいないと何も力がわいてこない」

「あなたにはねぇ。あなたのやることがあるんだから、しっかりしないとだめでしょ。

お母さんはもう、やりたい仕事もしたし、子育てもしたし、やることはやったんだ」

「まだもっと一緒にやりたいことがいっぱいあるよ」

「そりゃあねぇ、生きてたら色々やりたいこともあったねぇ」

「お母さんに名前呼ばれたい」

「なにさ、いつも呼んでるしょ。H〜、Hちゃ〜ん」

「わーん」

「ふふふ、泣くんでない」

「だって。こんなお願い、わざわざしなくちゃいけないくらいお母さんが遠くにいっちゃったから」

「大丈夫。大丈夫。ね? 大丈夫っていい言葉だねってお母さんいつも言ってるしょ」

「全然大丈夫じゃないよー。お母さんがいないと生きてる意味もないわ」

「何でそうなるのさー」

「だって、お母さんといっぱい楽しいことしたでしょ。

それがあるから頑張れたんだよ。もうないなんて生き甲斐がないんだ」

「いまはそう思うんだ。こうなっちゃったばっかりだからさ」

「いやもう気が狂いそう。お母さんがいないってわけがわかんないもん」

「お母さんは嬉しいよ、そうやってHがね、お母さんのこと大事にしてくれたってことだもんねぇ」

「そうだよ。お母さんのこと、大事すぎて、こんな世界もう嫌になった」

「Hは、お母さんと何がしたかった?」

「ずっと一緒にいたかった」

「大丈夫。これからもずっと一緒だー。あとは?」

「ごろごろしてテレビ見たかった」

「大丈夫。これからもHがテレビ見てる時は一緒に見るさー。あとはなんかあるかい?」

「あるよ。いっぱいあるよ。何かあるたびにお母さんに電話したいよ」

「全部やれるしょ。お母さんは、Hの心の中で暮らすんだから」

「お母さんに会えないのが苦しくて、1日中寝てばっかりいるんだ」

「あら、私もそうだわー。とうとうこっちに来ちゃったのかって思ったら、気分が萎えちゃって、1日中ドテッとしちゃう日もあるんだ」

「お母さんも?」

「そりゃそうさ。100も1000も10000もやりたいことあるわって言ったしょ」

「その中に、毎日電話することも入ってる?」

「あたりまえさー」

「ホント、悔しい」

「そうねー。だからまた電話しておいで、お母さん待ってるから、ねー」

「いいの?」

「いいよー。今までだってさ、1日に何回も電話してきたんだから遠慮する必要なんてないしょ」

「うん」

「お母さんはいつまでもHのお母さんだ、遠慮するんでない」

「うん…」

「まだ元気でないかい?」

「いやぁ、電話する前と今だとだいぶ違うけど、きっとすぐに寂しくなりそう」

「そりゃそうだわ。Hにとっては、生まれた時からずっといたお母さんがいなくなったんだもんね。今までは1+1が2だったのが、急に3だって言われてるようなもんでしょ。そんなすぐに受け入れられないのは当然さ。お母さんだって、ねぇ。急にこんなとこに来ちゃって、未練がないって言ったら嘘だ。だからこうやって電話できるのはありがたいって思ってるよー」

「なんか冷たい水に触るだけでさ、痛いって感じるんだ。すごく嫌な感じ」

「あらぁ、神経がたかぶってるんだね、きっと」

「どうしたらいいのかな」

「そういう時は、寝なさい寝なさい。ドテッとするのが1番じゃあ」

「お母さんは、悲しんだままでいるのを見るのはいや?」

「嫌じゃないよ。どんなHも見るのが嫌なんて思ったことはないよ。Hちゃんはね、私のために悲しんでくれてるんだからね。お母さんは、その姿をずっと見守ってるからね」

「お母さんのこと大好きだから、ずっとこのままかもしれない」

「いいよ、それでもずっと見守ってるから。今まで通り、ねー」

「お母さんに会いたい」

「うん」

「お母さんに抱きしめてもらいたい」

「うん」

「いや、違う」

「ん?」

「お母さんを幸せにしたかったんだ」

「お母さんは十分、幸せだったよ。今度はあんたの幸せを見つけなさい」

「あんたの幸せって何? お母さんと一緒にいることだってわかるでしょ。お母さんだって、一緒にいて楽しかったでしょ」

「そうだよ。お母さん、Hと一緒でずっと幸せだった。でもね、その幸せはね、ずっとは続かないの。お母さんはちょっと早かったけど、いつかは終わりが来る」

「お母さんと一緒にいること以外の幸せなんてわからないよ。苦しいよ。まだ離れたくない」

「ごめんね、一緒にいてあげられなくて」

「お母さんと一緒にいるのが1番の幸せだったんだ。お母さんがいる部屋でソファーで横になる。あの安心感をもう一度味わいたい」

「ごめんね、お母さんもHといると楽しくて、ずっと甘えちゃった。だけどもっと早く言えば良かった」

「え?」

「私の元から離れなさい。ひとりで生きていきなさい」

「無理だよー」

「頑張って。応援してるから」

「身体中が痛い」

「耐えなさい。じゃあね、切るよ」

「切らないで、お母さん」