2次方程式を解く

中学生にとって、2次方程式を解く、というのは果たして勉強なのでしょうか?


これだけではもちろん、問題が不明確です。
つまり、2次方程式の解の公式があったとします。
これを用いて具体的な2次方程式の解を求めることは勉強なのでしょうか。
僕は2次方程式の解の公式がどのようにして導出されるのかを知ることの方が勉強だと思うのですが、
公式に正しく当てはめて解を求めることが勉強だと思っている人が大半なのかもしれません。
とはいえ,答えなんてどうでもいいじゃないですか。
大切なのは、答えを導出する方法がそこにあるんだという事実のような気がしてなりません。
いったん2次方程式の解の公式が導出できてしまったら、
もうそれ以上2次方程式固執する必要はないと思うんです。
いったん2次方程式の解の公式が導出できてしまったら、
すべての2次方程式が解けたことになるので、公式に当てはめる意味があるのか疑問です。
まぁもちろん、解の数値自体に意味があることもありますから、
そうなるともう数学の問題ではなくて別の分野の問題ということになっているんです。
数学の枠組みの中ではすでにすべての2次方程式は解き終わっているわけです。
公式に当てはめて計算するのはもはや数学ではなく、算数です。
公式の導出はどうでもよくて、使い方だけ練習すればいいという安易な考え方は嫌いです。
大体2次方程式なんて、パソコンのソフトがあれば解が出るじゃないですか。
人間よりもはるかに早く、正確に。
ただ、ソフトは解の意味すら知りませんし、2次方程式の解の公式だって証明できません。
人間がソフトと違うのは、問題の意味が理解できること、
そしてそのためにも何が公理で何が定義なのかを知り、そこから論理を展開できることにあると思います。


2次方程式に話を落としましたが、本当に呆れたのは、
1次独立の定義を知らなくても、与えられた数ベクトルが1次独立か判定できるかどうかの方が重要とかなんとかな世界で、
はぁ?って思いました。そんなアホな話はあるのか?
判定する方法はそりゃ対応する行列を作ってランクを計算すればできますけどね、
1次独立の意味がわかっていなくても1次独立だということがわかった(判定できた)、
と言われても、それはわかったと言えないというのが、そもそもわからない人が多いらしいです。
それでも一応問題が解けたことになって、丸がもらえて、点数がもらえて、単位がもらえて、卒業していくわけですよ。
パソコンみたいに、中身がわかっていなくても操作方法を覚えて使えれば本当に役に立つものもありますが、
数学は少なくとも定義がわかっていなくても答えが出せたとして何か意味があるのでしょうか。
「答え」が「答え」としての役割を持っていないんです。
例えば、2次方程式に話を戻すと、2次方程式の解の意味がわかっていなくても解の公式を使えば解が出せるんです。
そのようにして得られた彼らの解に果たしてどんな意味があるというのでしょう。


定義を理解して問題を解くという試みは、人生においても役に立ちます。
いま自分が置かれている状況がどういう状況なのかを理解して、そこから目標を定める、
つまり解の意味を各自で定義し、その解を求めるために奮闘するわけです。
こうしたらいいよ、と他人に言われても、本当にそうかな、と考えることができない人は問題です。
相手はこう言っているけど自分はどうかな、と場合分けして考える力。
これがどれだけ物事を整理する際に役に立つことか。
こうであると仮定すると、という考え方も重要です。
こうであると仮定する、ということは、こうでない場合があるということを認識することにもなるわけです。
主観的に考えるだけではなく、物事を客観的に考える訓練になります。
背理法もめちゃくちゃ大事です。なにしろ矛盾が起きれば、仮説を捨て去ることができるからです。
つまり、こうしたいと思っても、もしそれやった時におかしなことが起きそうだったらそれはやるべきではないと判断して次の行動に移れます。
数学を学びながら、本来はこういうものの考え方を身につけるべきであって、
別に公式に当てはめるとかは数学の本質ではない気がします。


証明を理解する、というのはとても楽しいことなのに、どうして理解されないんだろう。
結果が重要視されて、使えればOK、みたいな即物的な考えがどうして蔓延するんだろう。
はぁ…。