というわけで

ひとつの仕事が一段落ついて,生活を一新する切り替えの時間を迎えております。
研究活動・教育活動はどちらも creative で自主的なお仕事で,
自分自身で課題を設定してそれを達成するタイプの仕事に思えます。


研究活動では,課題そのものをセッティングしてそれを達成するために関連する論文を読んだり計算をしたりします。
あるいは教育活動においては,微分積分学線形代数学・複素解析などの科目で
登場する定義・定理・例題の中で「これはやらなければならない」というものを厳選して
90×15回の講義内容を作り出すので creative だし,
レポート問題としてどんなものを課すかは教員の裁量に任されているので creative で自主的です。


一方,数学書の書評のお仕事は「この本を読んで書評を書いてください」と数学書が手渡されるわけです。
厳密に言えば,課題となる数学書は自分で購入するところから話は始まるわけです。
目次をみて,「自分の専門分野に近ければ,書評可能。そうでなければお断りする」ということになりますが,
今回は自分の専門分野にストライクだったのでお受けすることにしました。
読んだことがある本であれば,書評の原稿はすぐにできますが,今回は読んだことがない本だったので,
まずどのくらいの期間があれば読み切れるかを瞬時に推測しなければなりません。
今回のように読みにくい本であれば,思うように進まなくて数か月気を病むことをなるわけです。
とにかく,一定期間,与えられた課題図書を読み続けなければならないという点で,
「課題は既に設定されていて,自分の裁量で決めることができない」という違いが生じます。
読み終えて,実際に書評の原稿を書く時間は creative で楽しかったですが,
本を読んでいるほとんどの期間は,与えられた仕事をこなすための労働の時間になってしまいます。
creative な要素はかけらもなく,強制労働という気がします。
やりたいことがやれる,というのがどれだけ幸せなのかがわかりました。


これからまた研究に戻っていくわけですが,長い間,受け身の仕事をしていたせいか,
タイプの違う creative なお仕事が浮かんできません。先ほども書きましたが,大変な弊害です。
勘を取り戻すために,2011年11月の日記と2012年6月の日記にざっと目を通してみました。
前者は「1年前の今頃何をしていたか」,後者は「書評の仕事を受ける前に何をしていたか」を知る事ができます。
それを参考にして勘を取り戻したいわけですが,
まず,1年前の今頃は,2週間かけての TOEIC の勉強をはじめていたみたいですね。
1年前はまだ余裕があったんだな,というのが見て取れる行動です。
TOEIC は1年に1回くらいのペースで受けると成績が確かに上がっているので,
受けてもいい時期なのかもしれませんが,今年はただでさえ時間が奪われているので
TOEIC の勉強をしている暇は皆無と言えるでしょう。
ここ1ヶ月の間に研究費で英語の勉強の本を2冊買っていますが,いま勉強すべきではありません。


次に2012年6月ですが,ブログに研究の内容そのものは書かないようにしているのでわかり辛いですが,
あの研究をしていたんだなという記憶は蘇ってきました。
でもあんまり参考にならなくておかしいなと思っていましたが,
次にやるべき課題としては,8月にデンマークに行ったときに,
「ロシア人の研究者さんに頂いたアドバイスを検討してみる」というのがあって,
これが一番「やりたいこと」であり「やるべきこと」でもあるというのを書きながら思い出しました。
それすら忘れていたなんて恐ろしい。長年の夢でもあるZ解析の続き,ということになります。
検証してみる時間はたっぷりあるので,ここから先の2ヶ月はこれを検証してみることにします。


目標が定まりましたが,書評の仕事を受けた6月26日に予期していた,書評終了後の台詞があったので,
書評の仕事の締めの台詞として言っておくことにします。
「俺の夏休み…終わっちゃった…」(©ロクサス)
というか加筆。「夏休みどころか,10月も終わっちゃったよ!」(「どーしてくれるんだ」という気持ちが無きにしも非ず。)