世界が変わってしまった。
9月15日。1週間のオンライン集中講義を終えて、翌日から3連休の始まり。
この3連休は実家に帰る予定を立てていました。
9月16日。母が食欲がないから、1週間延期しようね、という話になりました。
9月19日。母が病院に行くとのこと。食欲がないだけで病院…?
それから何日かして別の病院に行って検査を受けたと言っていたけれど、
後期が始まってバタバタしていたからいつのことだったかわからない。
実家に帰るのはスポーツの日付近にしようということになりましたが、
入試があるのを忘れていて結局スポーツの日には帰ることができなくなっていました。
10月1日。母が1泊2日の検査入院をするという話を聞かされる。
10月2日。母が検査入院。1泊2日の予定が2泊3日になったことを聞かされる。
10月3日。2泊3日の予定が5泊6日になったことを聞かされる。
血栓を溶かす治療を受けているとのこと。
それを治療できたら元気になるんだよね、と言ったのに、父はわからないという。
検査中だからなのかなと自分に言い聞かせる。
10月6日。予定が早まり、4泊5日目に退院。次は10月11日に病院に行くとのこと。
10月10日。何か様子がおかしい。検査だから詳しいことはわからない、という。何かを隠しているような。
10月11日。8時間病院で検査や治療を受けたとこと。
10月12日。普通に電話で話す。昨日は長くて大変だった、と。精密検査の結果を聞くと、何らかの病名を告げられたが、1ヶ月や2ヶ月でどうなるわけでもないという話を聞く。何の病気かははっきりとは教えてくれない。
10月13日。ラインが既読にならない。電話もつながらない。具合が悪かったとのこと。
10月14日。母の様子は変わらない。
父とも頻繁に電話をしていたけれど、この日に初めて詳細を聞く。隠しているような様子だったけど、
「今どういう状況なの?」と真面目な聞き方をしたら話をしてくれた。
現代医学では難しい病気であること。
余命を告げられた状態ではないが、延命治療という言葉を聞く。
ショックを受けたら困るから子供には言わないでと言っているとのこと。
10月2日に病名を告げられたが本人の希望で今まで黙っていたこと。
夜には母から電話が来る。調子が良くなってきたという言葉が聞ける。
母の口からは病名のことは聞けなかった。
父から詳細を聞いてしまったことは話すことはできなかった。
10月15日。ラインをしても電話をしても母は出てくれない。
夜になって電話が来る。昼間は調子が悪かったが夜には良くなってきたとのこと。
スピーカーにして、母との会話を録音してしまった。
父に電話すると、別の病院にもデータを送って治療の方法を探してもらっているとのこと。
明日、休みを取って、実家に帰ります。
本当は今日帰りたかったけれど、父に調子が悪そうだから落ち着いてからにしたらと言われて。
でも、母に聞いたら帰って来ていいよ、と。ありがとう、と。
9月の前半まで全然普通にしていたのに、急に切り替わるような変化。
まだ72歳です。母方の祖父は90歳まで生き、母方の祖母はまだ100歳近くて自転車に乗っています。
だから、まだまだこんなことが起こるなんて想像もしていませんでした。信じることもできません。
ネットでは、闘病生活後に回復し、今は普通の生活をしていますという記事も出ています。
僕が中学生の時にも同じ病気をしていて、克服してくれたから今回も治ると信じています。
お願いです。最も大切なものが奪われたら、生きる気力がなくなってしまいます。
もしものことを考えて、昨日も今日も泣いてしまいました。
昨晩も、食事が喉を通りませんでした。今日は朝と夜は食べたけど、量は少なめでした。
いま一緒に暮らせていないこと、後悔しています。
28歳まで実家にいたから、大学で実家を離れている人と比べたら長く一緒に住めているけど、
どうしてあの日、13年前に、京都に行く決断をしてしまったのか。
どうしていま群馬で暮らしているのか。
決断をしたわけではなく、仕方がなく流されて進んできました。
研究者になるためには、働く場所を選ぶことは難しいです。
幸運にもポジションがあれば、研究者として働くことができる。
そう。幸運なことが起きているはずだったんだ。
だけど、もし研究者の道を進まなければ、普通に地元の企業に就職していたら、
もっと親と長く時間を共にできたのかもしれない。
そっちの方が、大切なことだったんだじゃないか。
准教授になった姿を見せられたのは喜んでもらえたけれど、
結婚したり孫を見せたりもしなければならなかったんだよね。
病気を告げられた母の方がつらいのに、こんなことを考えるとは自分中心ですね。
明日はそばに着いて、元気付けてあげなくちゃ。
人生100年時代なんじゃないのか。まだまだ若いのに、どうして…。
もっと若くして親を亡くしている人の動画を見て泣いてしまいました。
ただただ時が流れていきます。
ついついFF7の忘らるる都のシーンを見てしまいました。
あのシーンの悲痛さで新たに気付かされたのは、
大切な人が亡くなっているのに、直後にジェノバとの戦いが行われるということ。
あれって、現実で大切な人を亡くしても、
仕事が普通にあるんだということを直視させようとしているのでしょうか。
過酷すぎる。
もし何かあったら、当面の間、研究どころではないかな。
頭の中がもやがかかったみたいにぼーっとなって、計算ミスばかりになると思います。
授業とか、どうなっちゃうんだ。
自分は来月で42歳。定年まで少なくとも23年もある。
定年後でも親が生きている人もいるのに、自分だってそうだって思ってるのに。
それまでたくさん、話をしたいと思ってるのに。
人の命も、宇宙が誕生したビッグバンの時からすべてが定められているんだと思う。
宇宙の歴史から見たら、母と過ごせる期間なんて一瞬のことなのかもしれないけれど、
僕らにとってはそれがすべてだから、まだまだ長生きして欲しいです。
心臓がカナヅチでガーンと叩かれたみたいに痛い。
前厄・本厄、そしていま後厄で、もう何ヶ月かで抜けられると思っていたのに。
コロナ禍を乗り越えて、まだまだこれからじゃないか。
去年、股関節の手術をして痛みなく歩けるようになった母。
すべてがこれからを楽しく過ごすためにあるんだから。
急にひとりになってしまいそうな現実が怖くて仕方がないです。
20年も30年も、孤独で生きるのは耐えられそうにないです。
あまりにも長くつらい日々になってしまう。
何もかもがどうでもよくなって生きがいも無くなってしまう。
現代医学の神様、どうかよろしくお願いします。
とにかく、急に、信じられないくらい急に世界は変化することがある。
日々を大切に生きなければならないということです。