105時間経過

歩く時に腰に痛みの出ない角度は20°くらいになってきました。
直角に腰を曲げていると今度は逆に痛いです。少しずつまっすぐになっていきますね。
茶碗を洗ったり洗濯物を干したりはできるようになりました。


現時点での弊害は生活スタイルが相当ズレてしまったことです。
ぎっくり腰発生初日に,なんとかして16時間以内に立てるようになって出張に行くんだ,
と意気込んで徹夜で立てるように訓練をしてましたからね。
結局座る段階まではいけたものの,そこから立ち上がろうとして痛みが増し,
2日目終了まで座るのもきつくなってしまったばかりか,
徹夜につき見事に生活スタイルが逆転しました。
未だに戻りません。まぁ3月は以降研究以外の予定はないのでどっちにしても逆転しそうですけどね。


実は,日曜日〜火曜日の間,母が仕事を休んで助けに来てくれました。
「それくらい自分で何とかしなさい」と言われるかと思っていたので意外でした。
でもトイレに行くのも微妙な感じだったので助かりました。
ぎっくり腰発生から次の食事が出来たのは母が食べさせてくれた食事で
それまで21時間何も食べ物に手が届かなかったですからね。
肉じゃが,めちゃくちゃ美味しかったです(´▽`)


「それくらい自分で何とかしなさい」と言われた方が困難を乗り越えるチカラが付いたと思うので,
「今から行くよ」って言われた時は「自分でなんとかしたいから」と必死に断ったんですが,
「トイレも行けないくせに何言ってるの」と言われて説得されてしまいました。
まだ新横浜に向かっている時点だったのでこちらがさらに説得すれば
戻ってもらうことはできたかもしれないですが甘えてしまいました。
「僕も母は甘いなぁ…」と思いつつも,やっぱり来てくれたのは嬉しかったです。
ちなみに断った理由としては,もちろん「この苦難とひとりで立ち向かいたいから」というのもありますが,
「せっかく京都まで来てもらっても,看病のためなんかじゃ楽しませてあげられない」というのもありましたね。
本当に看病だけして帰っていってしまったのでちょっと申し訳ない気持ちはありますね。
今後はできるだけ具合が悪くなったりしても平静を装って心配をかけないようにしたいと思います。
今回も「ぎっくり腰で立てなくなっちゃった」というのは,今になって思えば,
「こんな状況だけどこれからひとりで頑張るよ」という意味合いを込めて電話しただけなんですけどね。


ぎっくり腰は確かに立てないし,トイレにも行けないし,それはそれは大変でしたが,
そこをうまく頭を使って乗り越えられたかもしれないですし。
(以下,ぎっくり腰の際のトイレのお話です。)
21時間ご飯を食べなかったのは,汚い話ですが,万が一「大」を催した場合,できないという問題があったからです。
近くには大学でもらったお菓子がこの時期大量にあったので,それで飢えを凌ぐことはできます。
…が,食べることによってもちろん排泄をしなければならないですが,
少しでも起き上がると腰に激痛が走り,座っての「大」は不可能な状態だったので計画的に食事を控えていたのです。
「小」もきつい状態で,まずはトイレまで這っていき,腕の筋肉だけで(腕立て伏せのように)体を持ち上げて,
腰掛けずに用を足しました。ですが,それならできるので21時間の間は水分の補給だけで耐えていたわけですね。
幸い,「大」を催したのはとりあえずしばらく座れるようになってからだったので救われましたが,
もっと早かった場合,例え親がいたとしても痛くて腰掛けられない状態だったので無理だったと思います。


この辺のことをうまく対策を立ててひとりで乗り越えたかった,というのはありますが,
辛い時に来てくれるという母の愛を感じられたので今回は甘んじたのも良かったかなと思いました。


ちなみに20°の角度で歩けるのは,母が買ってきてくれたコルセットのおかげのようです。
コルセットとは腰を固定する腰巻のことですね。
これを外した途端,痛くて歩くのがきつかったです。


以上,14時間半〜49時間の間,更新の頻度が落ちたのは母が来ていたからという理由の記録と,
ぎっくり腰時の大敵,トイレのお話でした。