96日目・深夜

3回目の月命日を過ぎて数日が経過しますが、精神状態は良くないです。

 

むしろ、ここ最近の方がひどいです。

 

生まれた時から、ずっと一緒にいたお母さん。

幼稚園は、立ってトイレができなくて、登園拒否をしました。

だからずっとお母さんと一緒にいられました。

小学校は普通に行ったけれど、1年生の最初の2週間くらいは、

お母さんから離れるのが嫌でなかなか学校に行けませんでした。

休んだわけではないけれど、見送ってくれるお母さんの元にすぐに戻ってしまって、

なかなかスムーズに小学校に向かえませんでした。

中学校の時は、母が手術をして、めちゃくちゃ不安でした。

治りましたが、お母さんは守るべきものとしての認識が強くなりました。

高校生に時は、通っていた高校で成績の1番を取りました。

「なんか1位だったわー」と言ったら、「すごーい」と言って、

お母さんが抱きしめて喜んでくれて、びっくりしたけれど、嬉しかった。

いい成績を取って、お母さんに抱きしめてもらいたくて、勉強しました。

大学の時も、帰りにお母さんと待ち合わせをして、ご飯を食べたりショッピングをしたり。

大学院の時は、家で研究することも多かったから、

お母さんと一緒にいられる時間も長かったです。

何より、修士課程から博士課程に進めたのは、

最後までお母さんが口出しせずに見守ってくれたからです。

学振PDで2年間、さらに実家で過ごせたので、お母さんとは29歳まで一緒にいられました。

京都の時は、3ヶ月にいっぺんお母さんが来てくれました。

群馬に来てからは10年間、毎日電話をしました。朝、晩かならず。

毎日毎日。休み時間に電話をしたり、帰宅後も電話をしたり。

 

とにかく、お母さんとはずっと一緒にいました。

お母さんのこと、考えない日は1日もありませんでした。

外国にいても電話をしました。地球の裏側からも電話をしました。

 

とにかく、お母さんとはずっと一緒。

今だって、一緒にいたいよ。お母さんはどこ?

ねぇ、隠れていないで出てきてよ。

出てこないなら、探しに行くよ。

 

お母さんのあと、追いかけて行きたいんだよね。

 

これは、最初の2ヶ月間は考えなかったなぁ。

 

感情の麻痺→悲しさ→寂しさ→苦しさ→禁断症状→虚しさ→吐き気→絶望感→疎外感。

 

そして、お母さんのところへ行きたい願望が出てきてしまった。

ホント、最初は感じなかったんだけど、なんだかチラつく時がある。

利根川がごうごうと激しい波を打って流れている。吸い込まれそうな勢いだなぁと感じます。

 

だって、だって、だって、お母さんが燃やされてしまった。

俺の大切なお母さんに、なんてことをしてくれたんだ。

おかげで俺にはもう、優しさも温もりも幸せも安心も、未来にはないんだぞ。

そんな未来に行きたいか?

俺は、お母さんが大好きなんだ。

まだ、心は、お母さんにしがみついて離れようとしない。

引き離そうとしたって無駄だ。

お母さんの所へ行きたい。

お母さん、目を覚まして。