3回目の月命日を過ぎて数日が経過しますが、精神状態は良くないです。
むしろ、ここ最近の方がひどいです。
生まれた時から、ずっと一緒にいたお母さん。
幼稚園は、立ってトイレができなくて、登園拒否をしました。
だからずっとお母さんと一緒にいられました。
小学校は普通に行ったけれど、1年生の最初の2週間くらいは、
お母さんから離れるのが嫌でなかなか学校に行けませんでした。
休んだわけではないけれど、見送ってくれるお母さんの元にすぐに戻ってしまって、
なかなかスムーズに小学校に向かえませんでした。
中学校の時は、母が手術をして、めちゃくちゃ不安でした。
治りましたが、お母さんは守るべきものとしての認識が強くなりました。
高校生に時は、通っていた高校で成績の1番を取りました。
「なんか1位だったわー」と言ったら、「すごーい」と言って、
お母さんが抱きしめて喜んでくれて、びっくりしたけれど、嬉しかった。
いい成績を取って、お母さんに抱きしめてもらいたくて、勉強しました。
大学の時も、帰りにお母さんと待ち合わせをして、ご飯を食べたりショッピングをしたり。
大学院の時は、家で研究することも多かったから、
お母さんと一緒にいられる時間も長かったです。
何より、修士課程から博士課程に進めたのは、
最後までお母さんが口出しせずに見守ってくれたからです。
学振PDで2年間、さらに実家で過ごせたので、お母さんとは29歳まで一緒にいられました。
京都の時は、3ヶ月にいっぺんお母さんが来てくれました。
群馬に来てからは10年間、毎日電話をしました。朝、晩かならず。
毎日毎日。休み時間に電話をしたり、帰宅後も電話をしたり。
とにかく、お母さんとはずっと一緒にいました。
お母さんのこと、考えない日は1日もありませんでした。
外国にいても電話をしました。地球の裏側からも電話をしました。
とにかく、お母さんとはずっと一緒。
今だって、一緒にいたいよ。お母さんはどこ?
ねぇ、隠れていないで出てきてよ。
出てこないなら、探しに行くよ。
お母さんのあと、追いかけて行きたいんだよね。
これは、最初の2ヶ月間は考えなかったなぁ。
感情の麻痺→悲しさ→寂しさ→苦しさ→禁断症状→虚しさ→吐き気→絶望感→疎外感。
そして、お母さんのところへ行きたい願望が出てきてしまった。
ホント、最初は感じなかったんだけど、なんだかチラつく時がある。
利根川がごうごうと激しい波を打って流れている。吸い込まれそうな勢いだなぁと感じます。
だって、だって、だって、お母さんが燃やされてしまった。
俺の大切なお母さんに、なんてことをしてくれたんだ。
おかげで俺にはもう、優しさも温もりも幸せも安心も、未来にはないんだぞ。
そんな未来に行きたいか?
俺は、お母さんが大好きなんだ。
まだ、心は、お母さんにしがみついて離れようとしない。
引き離そうとしたって無駄だ。
お母さんの所へ行きたい。
お母さん、目を覚まして。