世界の先行きが不安です。
コロナですっかり衰退した状態に戦争の追い討ち。
日本もうかうかしてはいられません。
呑気にゲームを買った後ですが、いや、呑気にゲームを買った後だからこそ、
反動として不安が高まっているところもあるかもしれません。
数日前、ノストラダムスの予言2022年度版、2025年度版を見たのもあって、
もう未来は絶望的にすら感じるくらいです。
2025年にはもう日本はありません、とか予言されちゃう始末。
そんな中、一生懸命仕事をするなんてバカらしい?
せいぜい日本が滅びるまでの3年間、余生を楽しむのが良いのか?
3年くらい仕事しないで生きていけるくらいの蓄えはあるはず。たぶん。
しかし「エピソード16」によって勇気付けられました。
「痛えだろ?痛えってことは生きてるってことだ。生きてるのに死んだような顔すんな」
Wikipediaによれば、「どろろ」は暗すぎるから不人気で打ち切りになったとか。
どうしてくれるんだ。どうして最後まで手塚治虫さんに描かせてあげなかったんだ。
当時の子どもたちがしっかり「どろろ」を受け止めなかった罪は大きいと思います。
「どろろ」は中学時代、単行本を買って読んで好きになった漫画の一つです。
百鬼丸が元通りになった姿が見たかった…。
すべてを取り戻したら、百鬼丸はその後どう生きていくんでしょうね。
「たとえ裁きの光で100回町が壊されても、101回直してやる!」
サウスフィガロのこどもの力強さを見習わなければ。
世界崩壊を引き起こしたケフカが、なんだかプーさんに被って見えます。
実際のところ、これからどうなっていくんでしょうね。
世界の混乱は瞬時には解けそうにない。
まず、破壊は何としても食い止めなければならないんだけど…。
現実世界にはもう不安は要りません。和平を…。
大学も、果たすべき役割は何なのだろう。
こうした学問は人生を豊かにすると思いますが、平和であってこそな感じもする。
一流大学以外は、完備性もカーネルもいらないのかも。
しかし私自身は、それに支えられて生きている。
こんなにも素晴らしい論文を読むことができる。
最高峰の喜び。至福のひと時。最上級の贅沢。それらを味わうことができます。
でも、街が破壊されてはそれどころではありません。
日本も貧富の差があります。九九もできない大学生なら飢えてもしょうがない。
そう思う時もあれば、どうしてそうなった、と自問自答する日もあります。
すぐに稼げることを提供すべきなのでしょうか。そんなものはあるのでしょうか。
そんなものがあったとしても、そんなものはすぐに使い古されて、過去になる。
ゲームアーカイブスやバーチャルコンソールの安さと言ったら、
よく考えれば申し訳なくなるレベルです。
PSやSFC時代には、現代では忘れ去られてしまった心のあるゲームが溢れていますから。
話が逸れました。
大学の役割は、すぐに使い古される技術の提供ではなく、
学び続けられる力の鍛錬を提供する場。
研究レベルまで達すれば、人類の、公共の利益のための理論を提供する場。
自分の役割はそれでいいと思いますが、
日本が生き延びる未来のためにもう少し色々考えないとダメな時期になってるのか。
とりあえず、農業が大事だよなぁ。あとは機械とエネルギーか。
日本はもうちょっと元気だったはずなんだけど、コロナの打撃は大きすぎた。
寒いのは気温のせいだけじゃないなぁ。