世界は美しいと感じることができます。
それは、世界が美しいからなのでしょうか。
貧富の差が悲しみや飢えを生み出し、
戦場は爆撃や病で人が倒れ、死はすぐ隣り合わせにある。
そうでなくても、すべての病気が治るわけではありません。
神はすべての人を愛してくれず、宗派の違いは人々を敵と味方に分類します。
どんなに食物で満たされても、差別やいじめはなくならない。
世界は美しい? どうすればそんな事を感じることができるのかと
思わざるを得ない側面は世界にあふれています。
でも科学は…、世界を美しいと感じさせてくれる。
その言語であって、科学を支える数学は、
世界を美しいと感じる実感を確かなものにしてくれる。
数学の力がなければ、美しさになかなか確かな安心感は得られないでしょう。
世界はある意味美しくありません。
でも、科学は世界が美しいと感じさせてくれます。
科学の視点から世界が美しいと感じると、
美しい世界を守りたい気持ちがわいてくるんだ。
数学は、神様がくれた世界を美しいと感じるための言語。
数学によって、神の言葉が聞こえて世界が美しい事がメッセージとして伝達される。
誰もが数学に触れて世界が美しいと感じる事ができれば、
世界は平和にならないかな…。
ただ、そのメッセージが聞ける段階にたどり着くのはものすごく難しいのが問題です。
そのレベルは自分が今知るレベルの遥か上がもちろんあって、
大いなる数学がもたらす神のメッセージは全然すべてを聞き取れるわけがないけれど、
人間は小さいので、ほんの少しの雫にようなものであっても
心は大きく満たされる事があります。
部分積分したり内積を取ったり、いろいろ鍛錬しないといけないのがあって、
なかなか排他的な部分も多いんだろうなぁ。
鍛錬しないと高度なものに太刀打ちできないから避けられない道ではあるんだけれど。
学問に王道なし…、いや、幸福に王道なし、と言ったところでしょうか。