さて

そろそろいいかと思いますが,実はわたくし,
来月を持っていまの所属大学を退職することになりました。
(まだ退職願は出していないので,「なりました」というのはちょっと語弊がありますが,
来週には退職願を出すつもりなのでまぁ誤差でしょう。)


いまの大学の任期は3年。いまの身分は臨時職員の助教だったのですが,
現在京都ライフが始まって2年と5ヶ月目で,
今年度いっぱい(あと7ヶ月)で任期が切れます。
というわけで3月末から就職活動をしていたのですが,
4月は忙しくて公募の書類をサボり,3月中も1件だけ応募しただけでしたので,
実質5月から就職活動を始めたようなものなのですが,
3月に出した1件目は面接で落ち,
2件目も面接に呼ばれたのですが年収300万というのを聞いて面接に行く前にこちらから断り,
3件目にて採用が決まりました(4件目に出した応募には面接にも通らず)。
で,7月6日に面接,8月1日に採用の連絡が来て,9月1日から来てください,というのです。
ドイツ・ベルリンに行くこともあり,とりあえず9月21日まで赴任を待ってもらうことにしました。


実は8月11日〜8月12日は家探しにいっておりました。
で,13日,14日の無気力っぷりは,
「京都を離れるのが嫌だよー!」っていう気持ちが強すぎて,
ショックで何もやる気が起こらなくなっていたからなのです。
どちらにしてもあと7ヶ月で任期が切れてしまうので,
来年度の職はあるのだろうかという不安もあったのですが,
(それこそろうそくの火が消えてゆく光景が目に浮かんだり…。)
学部時代の指導教官の「まぁどっかに受かるでしょ」という言葉を信じて,
あと7ヶ月は就職活動もしながら京都生活を満喫するつもりでした。
が,それが一気に残りひと月あまりに短縮されて,
「まだ京都にいたい!」という思いが強すぎて,
収束…じゃなくて就職先が決まったことにも喜びを感じることができず,
「幸せって何なんだろうなぁ…」とか考えながら,
1日18時間くらい寝るという無気力っぷりを発揮しました。
だって,好きな女の子にも会えなくなるし,
お金もあるんだから,いっそ駆け落ちしようかなとか,
何も数学の研究を続けなければならない理由もないんじゃないかとか,
京都で別の仕事を探すのもありなのかなぁとかすら2日間のうちに考える始末。
FF13のヴァニラの「現実がつらいなら、逃げてもいいんだよ」
というセリフも浮かんだりして,ぐだぐだでした。
ゲームの動画をYoutubeで見て,ぼんやり過ごしました。
クロノトリガーの緑の夢も,もちろん,
いまどんな選択をするかで未来は変わることを強く意識してのことです。
京都最後のひと月。この一瞬に戻りたいと思う日が来るような気がして。
さすがに期末試験の採点もあったんで,
ぼんやりは2日で終了し,活動を再開しましたが。


今度の身分は「任期なし」。そして助教からのランクも上がります。
准教授で募集していたのですが,31歳はまだ若く,講師での採用です。
(定年は65歳なので,まぁ年齢が満たされれば,自然に准教授になるんでしょうね。)
助教→講師への昇進で,お給料は上がるかわからないけれど(今の所属大学はお給料は良いらしい)。
公立大学への赴任なので、公務員になるらしい。
あ、そうなの?って感じですが。ちなみに私立大学を退職するので退職金も出るらしい。
こちらも、あ、そうなの?って感じですね。


Mayonaka-Math-Time30 の「スリー・ノート(30)」は3つのゼロ。
任期なしの職を得たことで,これでやっと職業は安定したというか,
研究業績を上げるために論文を書くのではなく,
本当に意味のある研究をする土台ができる,という意味で,
研究生活の本当の意味でのスタート地点に立つことができました。
これによって「ひとつめのゼロ(原点)」を得ることができたということを意味します。
単に「30代の数学ライフ」の意味のみではなく,
挑戦して,新しいステージに立つことの意思を刻み込んだのが,
「スリー・ノート(Three naught)」だったのです。
(30代の目標は残りふたつ…。果たして、残るふたつのゼロとは?)
任期なしの職が得られるのは運が良くて35〜40くらいという記事もあるので,
もう1回くらい任期付き助教の身分で職業をつなぐことになるかなというのもあって,
30代のうちに任期なしの身分を得ることが目標でしたが,
その目標は31歳でかなったことになる。おめでたい。


…はずなんだけど,京都に来る時も思ったのが,
「おめでとう」「ありがとう」「さようなら」。
つまり,新しいスタートは,出会いと別れを意味するのです。
2年半でしたが,学内の人にはとても良くしていただいたので,
ときどき京都タワーの上から「数学させろバカヤロー」と叫びたくなることはあったものの,
思い返してみれば,楽しい毎日で,別れは辛いものがあります。
研究面でもZ解析の論文も書けたし,それは投稿中ですが,
京都にいるあいだに他にアクセプトされた論文は3本,
書評の仕事も気が狂いそうになりながらとりあえず自己満足レベルには達したので,
充実はしていたんだと思います。
健康面はシビアでしたが。2年目は,9ヶ月の通院,「毎週注射は嫌だよー」な状態,
さらには初のぎっくり腰で,身体はいまでもフラフラ。
健康診断は毎年「精密検査を要する」でしたからね。
それはともかく,別れが辛い。
おめでたい。なんて勝手に決めるなよ。
俺の気持ちを勝手に決めないでくれ…。みたいな。


そんな中,FF6の台詞集を見ていて,
『たとえ「裁きの光」で100回町が壊されても、101回直してやる!』
というセリフがありました。
崩壊後のサウスフィガロの町にいる少年のセリフです。
(BGM『街角の子供達』(FF6より)とともにお読みください。)

街角の子供の方がよっぽど強い気持ちを持っているじゃないか,
と思って,昨日精神が回復しました。
人生,七転び八起き。
FF7でも「なに言ってんだ。 若いんだろ?
何でもやってみろ! 若いうちは何でもやってみるもんだ
若いうちにいろいろ苦労してなあ。 自分の道ってやつを探すのよ」
という軽トラックのおっさんのセリフもありますしね。
まぁうだうだ考えるより思ったようにいろいろやってみればいいじゃないかと思いました。


それはそれでいいんだけど,9月8日―9月15日はベルリン,
9月18日―9月19日は引越しということで忙しすぎるんですけどー。
次の大学での授業の準備もほぼ1からやらなければならないし,
8月1日のブログで「数学どころじゃない」と書いたのはこういうことです。
数学どころじゃない、というよりは研究どころじゃない、という方が正確でしょうか。


次の行き先は…落ち着いたらまた話します。
横浜の実家までは3時間,京都までは5,6時間(T T)。
何はともあれ、京都を半年分満喫しなければならないんですよねー!
そんな中、期末試験の採点のせいで、五山送り火見損なったorz
まぁチェックしてなかったというか、知らなかっったのが悪いんだけど。
何をすればいいか正直わかんないんですよねー。
まぁそこそこいろいろ行ったし。あとどこへ行けば僕は満足できるんだろう。
とりあえず、2011年の12月、鞍馬山の山頂に、
夢槍ドリーム・スピアを預けてきたのでいずれ取りにいかなくては。(浄化のためです。)
今年の4月に、就職活動の祈願もしに行ったのでそのお礼もありますしね。
考え事をするのに、自然に囲まれるのもいいことですし。