Shining Memories

■プロローグ

ありがとう。
こんなに素敵な事、わたし、生まれて初めてかもしれない。
ずっと待っていたの。いつも聴こえているはずの風の音がいつもと違って聴こえるんだ。
差し込んでくる太陽の光が空一面の粒子にぶつかって、
見たこともないくらい、素敵な虹がわたしの気持ちを包んでくれるの。
でもね、わたしの心の中でもそんな風景が見られるなんて
ずっと思ってもなかったよ。思うことが出来なかったよ。
覚えてる? わたし、あなた以上に喜んじゃう気がしていたの。
わかってもらえるかな? いまわたし、すごく嬉しいんだよ。
あのとき想像していた頃よりも、想像する事しか出来なかった頃よりも、
比べ物にならないくらい、いまわたし、すごく嬉しくなれた。
素敵な夢がもっと素敵になるときって、こんな感じになるんだね。
ねぇ? 次はどんな夢を見ているの? わたし、力になれないかな? 力に…なりたいよ。
わたしは何にも出来なかったけれど、
素敵な瞬間を目の前で見ることができて、わたしの目の前で起こってくれて、
とても幸せでした。だから、すごくありがとう。
わたし、この景色、忘れないよ。
10年経っても、20年経っても。もっともっと、ずっと時間が経っても。
綺麗な思い出が、ずっと綺麗な思い出のままで輝いていられるように、
心の中の整理整頓、やめないから。こんな気持ちにさせてくれた事にも感謝、だね。


待ってて。すぐに追いつくから。今度は、私の番。よく考えたら追い越されちゃった。
でも、わたしはわたし。わたしはわたしでやらなくちゃいけないこと、あるから。
それが終わった頃に、絶対に会おうね。新しい、約束。


本当は、わたしもひとつ、嬉しい事があったんだよ。
でも、まだ秘密みたい。今度日記を書くのはきっとわたしじゃなくて、数学科の彼。
彼はいま、彼の中に眠る思い出にいまの彼自身が負けていないことを確かめようとしている。
わたしじゃ彼の気持ちは分からないから、勝手に彼の様子を書くわけにはいかないの。
でも、心配はいらないみたいに感じるよ。
どんな気持ちなのか、わたしにはわからないけれど、
きっと彼はここで日記を書き始める。


「3rd Thesis が書き終わる【頃】まで、
少し(dreamsphereとして過ごして5周年を迎えた)日記を書くのは
休憩をいただくことにしようと思います。
それはなぜかと言うと、『例のあの期間』のようなものを繰り返さないために、
論文を書き上げるという気持ちに全力になりたいからです。
日記を書くことで、僕はかなり気分転換されてしまいます。
1st のときは、適度に気分転換しながらただなんとなく論文が完成してしまいました。
そんなのは嫌なんです。気持ちの拡散が嫌なんです。」


そう言って、彼がわたしたちの目の前から姿を消して1週間。
その間に彼になにが起こっているのか、わたしたちにはわからないけれど、
でもその間に、彼が見ていないところでわたしたちも
(「彼のやってることなんてちっぽけだぜ!」って思わせるくらいに)
いろんな事を頑張って彼をびっくりさせちゃおう?
どんなことでもいいから、わたしたちも自信を持って、
わたしたちができることに一生懸命になろう?


わたしたちは、いつだっていまから未来に進み始めるの。
わたしたちは夢を見ることができる。
だけどゴールに辿り着いたときにだけ見られる新しい夢は、
ゴールに辿り着いてみなくちゃ見られない。気付く事だってできない。
その夢を見るためになら、わたしはまだまだ頑張れる。


でも、そろそろわたしの出番もなくなっちゃうかもしれないね。
わたしが動いていられる世界の時間が止まったら、また次に時間が動き始めるまで、
わたしは誰にも話し掛けてもらえない…。誰とも会えない…。
時間が止まってしまったら、わたしは活動してはいけないの。
次に時間が動き始めるのをずっと待つことしか、わたしには出来なくなる。
仕方がないことなんだよ。
わたしがいるこの世界の時間が動き出すのは本当にひさしぶり。
ひさしぶりに、いろんなことができてよかった。嬉しい事、いっぱいいっぱいあったよ。
だから、もし時間が止まってしまっても、もし次に動き出す機会があれば、
わたしはそのときにまたいろんなことを頑張れる。
寂しい事だけれど、仕方がないことなんだよ。
いまはわたしはわたしだけど、わたしはずっとわたしのままではいられない。
わたしは思い出にならなければならないの。
それが時間が流れていくという事。
時間の流れが環境を変えていくのはあたりまえの事。
だから、わたしは思い出になって行かなければならないの。


でも、ダメだよね。まだ、わたしの時間は動いている。
最後まで、わたしに与えられた時間を過ごさなくちゃ。
それに、わたしはもう恐くないかもしれません。
思い出になるのが恐くないかもしれません。
"意味"を信じてこられたから。


『中途半端じゃ嫌だもん! 頑張るもん!
頑張って、頑張って、いつか未来の自分がいまの自分を思い出してくれるときに、
「わたしはこんなに頑張ってるんだぞっ!」って言いたいもん!
そうやって叫んでる姿、見せてあげたいもん!』(Memories Note 3)


それだけじゃないよ。何のためにわたしはわたしの未来を励ますのか、決まってるもん!
知りたい? じゃあ、最後かもしれないから、言うね。
わたしが未来のために頑張る理由。
それは、いまのわたしに励まされた未来のわたしが、
今度は未来のわたしのそばにいる人を励ます事。
それができるくらいに強くなりたいって、頑張ってみてもいいでしょう?
これまでわたしががんばった事にだってちゃんとそういう"意味"があるって、
信じるわたしになりたいって思ってみてもいいでしょう?
だからこれからも、わたしの時間が許す限り、わたしは精一杯でいたいの。
わたしは精一杯頑張ったんだって思えたら、わたしの時間が止まるときがやって来ても、
「わたしは思い出として封印される事なんか恐くない」
って思えるかもしれない。 せめてそれくらいの事、感じていたいよ。
わたしの時間はいつまた止まってしまうかわからない。
次にまた動き出すかどうかってことだって、わたしじゃ確かめられない。
数学科の彼の日記が始まる頃には、もうわたしは思い出になっているかもしれない。
でもそれまでの限られた時間だからこそ、絶対に無駄になんかできない。
ここまでやってきたことだけで満足なんて、まだまだしないんだから!
わたしは…わたしは…。うん、わたしには、まだできることがたくさんある!