教育と研究

大学の教員は,教員であるべきなのでしょうか,研究者であるべきなのでしょうか。
僕はどちらかと言えば後者だと思っています。


もちろん,培った知識を次世代に伝えていくことはとても大事なことです。
一生懸命やらなければならないし,僕の先生がそうであったように
丁寧に講義はやらなければならないと思っています。


しかし,教育の効率は上げるべきだなと思いました。
…というのも,具体的には避けますが,似たような例を挙げると,
「xについての2次方程式 x^2+ax+b=0 を解きなさい(a, b は定数)」
という問題を,a, bは 0 から 9 までの自然数として
10a+b が学生番号の下2桁になるように a, b を当てはめて解かせる先生がいる
という情報をキャッチしました。


正直,暇人だなと思いました。


この問題の出し方は面白いなと思わないこともないです。
100 人学生がいた場合,100通りの答えが出来上がりますから,
他の人のレポート問題を写して提出する状況は避けることができるという利点もありますね。
そういう意味で,教育的効果はもしかするとあるのかもしれません。
人生と同じで,人それぞれ解くべき問題は違う。
そんな深い意味が込められていると解釈できなくもありません。


しかしながら,100通りの答えをいちいちチェックするなんてよっぽどヒマ人なんだなと思います。
例え上の2次方程式の場合の問題であっても,
解の公式に100回数値を代入するとなるとそれなりに時間を要します。
そんな暇があったら研究をするべきです。


研究者は,各自の分野を発展させる義務を持っていると思います。
各自の能力を発揮させて,新しい事柄を発見したり,知識を蓄えたりしなければなりません。
そのことを考えると,上記のような苦労は僕にはできないなと思います。


つーか,大学生なら参考書を借りるなり買うなりして,自分で積極的に問題を解けよ,と思います。
何でいちいち教員がレポートの丸写しを避けるために100通りの答えになるように問題を作らなければならないんじゃい。
勉強しないで単位をくれとか知らないよ。


ああダメだ…。うっぷんが…。(話題ズレてるし)