人間界は愚かじゃノォ。
日本人の心はこんなに貧しかったっけ。
かもしれないし、違うかも。色んな人がいるという事なのでしょう。
では、数学教育の意義は何でしょうか。
科学への応用ができる、それで人々の暮らしが豊かになっている。
そんな下らない事じゃないという思いが芽生えてきました。
もちろん、それはそれで構わないです。悪いことではありません。
しかし、数学教育の意義は、正しい事ができるための訓練なのだと思います。
人間が間違おうが何だろうが、数学の世界には絶対的な真実がある。
それを追求する行動の中から、常に正しいことをしようと心がける気持ちが育つのです。
しかし、考えない数学・やり方を学ぶだけの数学への需要が強すぎる。
定義に基づき、場合分けと背理法を駆使して展開される論理を経て、真実へたどり着く様はどうでもいいらしい。
やり方を身につけさせろ、と。
負けるぞ。AIに。
まぁ、それが仕事であるのなら、気持ちを込めずにやっても構わないけどな。逆につまんなくない?
真実が語れる分野ってそうそうないぞ。
すっきりするのは気持ちよくないか? 計算したものが何の意味があるのかもわからないで楽しいか?
この手の話になると、結局は経済の話になります。
間違っているかもしれませんが、アホがいた方が、経済は回る。
だってそうですよね。失敗をするからそれを後始末する人が儲かる。
怠惰のために人はお金を使う。下品なものでも買ってくれる人がいるんですよ。
消費税が取れて? 色々ありますが、まぁちょっとは世のためになりますか。
政府が正しい事に税金を使ってくれるとは限りませんが、さすがに100%正しくないということはないでしょう。
というわけで、まぁ、そのままでもいいのかもしれないですね。
ただ、ちゃんとしようとする人にはちゃんとその想いに応えなければならない。
誠意には答えなければなりません。
アホでいたいならアホでいるがいいさ。義務教育ではないんだし。
治安も悪くなっていくかな。嫌だな。頑張ってね、刑事さん。わたしゃ疲れたよ。
そういえば、スマホのながら運転とかあおり運転とかに厳しくなったんでしたっけ。
どんどん捕まえてください。まだまだ甘いですよ。
歩行者として、車の乱暴な運転には恐怖を感じない日はありません。
歩道を渡っているのに猛スピードで突っ込んでくる車。
思いっきりスマホ見ながら運転しているのが見える車。
止まれで止まらない。お前、徐行にすらなってないぞ、な車。いや、止まれなんだから徐行でもダメですが。
どんどん捕まえて罰金を取ろう! 出来高制でもいいんじゃないですか?
罰金は警察官の給料に追加になってもいいくらいだと思います。
一部は警察署の運営に、一部は国の運営費に。バッサバッサと取り締まって欲しいです。
とりあえずちゃんとしよう、日本。