9月のスケジュール調整でカレンダーとにらめっこをしています。
高知での非常勤講師勤務ですが、学会を無視するのが1番精神的に余裕が持てます。
それ以外だと、出張が連結してしまいます。
せめて1日空かないと、洗濯ができない、荷造りや出張報告ができない。
出張だらけで、なんだか移民になった気分です。
報道ステーションでアメリカを目指す移民のキャラバンの話をしていました。
母国は食費が高く、仕事がない。
それ故に母国を捨てて歩くも、行く末に待つものが幸せとは限らない。
どうしてこうなってしまうのでしょうか。
仕事がない、というのが全然想像できません。
仕事がありすぎて、仕事ができない。
ん?なにそれ。本音はともかく、そうじゃなくて。
仕事がありすぎて、飲み込まれているけれど、
数学は価値が認められているから生活には困らない。
別に数学じゃなくても、世の中で価値があるとされていることをこなす力が必要なんだな。
高度な教育を受ける機会が提供できれば、形を変えて生きる力に変わる。
仕事がないとは何か。いや、だってこんなにアルヨ。多忙爆発。
仕事がないんじゃない。彼らに仕事ができるように教育をする場がないんでしょう。
それは誰が悪いのか。政府でしょうか、あるいは彼らが積極的になるべきなのか。
個人では無理ですし。怖くて行けないもん。銃で撃たれるかもとか言ってるし。
悪循環ですね。何千キロも歩いてアメリカを目指すエネルギーは、
役割を適切に与えて人類の活力にならないものか。
移民の彼らのことはさておき、個人的には私の仕事をしなければなりません。
あまり仕事を引き受けすぎて、誰かの仕事を奪ってはいないだろうか。
インピュリティリングから氷の研究を飛び越えて、次なる世界へ。
エッジ。
見てないですね…。
勉強モードになっているから、論文から理論が吸収される充実感はある。
でも勉強モードになるならもっと吸い込みたいところ。
読みたい論文は無限にあります。
自分の人生をどう使うのが一番の幸せかと言えば、
正直に言うと、こもって数学とRPG。
講義は必要最低限、出張はしない、なんだけど。そうもいかないんだよなぁ。