道は何処へ

数学に関してはいまのところはZ解析のおかげで安定し,
迷う必要なく淡々と「スーパーZ解析」の論文を書けばいいし,
それが終わったらやる研究も続々あるし,
それらをやってもよければ他に興味があることをやってもよい,
という気兼ねなく自由な状態を味わっています。


しかし心の方は何やらざわついています。
心の変化に思考が追いついていないのです。
思考を働かせて心を整理する間もなく,
心が踊らされているからよくわからないことになっている。
夢を現実に変えるためには行動に移さなければならないのは知っている。
しかし行動に移すと戻ってこられない場合がある。
状況が混乱するのは避けたいから, リスクを避けて夢には眠ったままでいてもらう。
どうだ。素晴らしい危機管理だろ。ここにはいくつもの眠りに就いた夢があるのだ!


3月23日も同じことを迷っています。それが解決したとも言えない状況のまま,
また同じことを迷っている。そう, うまくいくことが怖いのです。
なぜなら上手くいけば責任を伴うから。
重い責任を負うくらいなら逃げて持たざるものでいい(4月2日)。
おかげで何も成長しないままだけどな。
おそらくみんなは考えないで進めるんだ。
考えても答えがでないものを考えるから行動に移せないという状況だ。


まぁ状況確認はそのくらいでいいか? 今ある問題を考えよう。
問題? 問題という言葉を使うことこそが問題だ。
何も考えずに, 心を自由にさせるとするならば, こんなに嬉しいことはない。
問題ではないのだよ。小さな世界の真実を知っただけ。


まず,今回のようなケースは実は初めてのことであることを認識しよう。
眠りに就いた夢が目覚めたのだ。目覚めなければ眠ったままで時は流れ続けた。
そうなるはずだったんだ。
眠り続けるはずだった夢が目覚めたことは何を意味するのか? 分析…好きだな…。


眠っている間はあんなにも過去形だったのに,目覚めた途端こんなにも現在形になるとはね。
いったい夢の眠りとはどういった状態なんだろう。
あるいは人々の記憶の彼方に閉じ込められた夢。閉じ込められて忘れ去られた夢。
それは…いいか。俺は忘れたことはなかった。保管…し続けていたんだ。


思い出の整理はしたことがあるはずだ。
でもその際に何が起きたかは, 覚えていない。忘れてしまったんだ。
ブログ内には…あるかな? 「心の模様替え」で調べて出てくれば何かわかるかも知れない。
それはあとで確かめることにしよう。久しぶりの時間旅行か。


その時に,もしいつかまた目覚めることを夢見て保管していたのだとすれば,
この新鮮さは説明がつく。そうなると今度は本当に問題が起こる。
なぜなら,「今は叶わないからいつかチャンスが来た時のために」
という願いを込めた夢がいくつもあって,
その夢が潰し合いをすることが起こってしまうことが考えられる。


夢が眠っている時,心はその夢を見ていない。
記憶しているかもしれないけれど, 一定の距離を保ってバランスを取っている。
今回はその夢がひとつ目覚めたことになる。
でも,「今は叶わないからいつかチャンスが来た時のために」。
そんなチャンスは来ないと思っていたんだ。
来ないと思っていたけれど,来ないと思いたくはなかった。
どうしようもできないのに,どうにかしたい気持ちはあって,
その気持ちとうまくバランスを取るために,
叶わない夢を「いつかチャンスが来た時のために」と先送りにする形で,
諦めるわけでも諦めないわけでもない曖昧な状態として保管した。
でもどこかでは「そんなチャンスは来ないこと」はちゃんとわかっていたんだと思います。


だから諦めていたんだよ。あなたは夢を諦めていた。そうかな?
だったら目覚めた夢のこのワクワクは何? とても諦めていたとは思えない。
ちゃんと保管してあったんだ。汚れないように大切に。
夢の続きが見られるか,あるいはきちんと終わらせることができるか,
少なくとも行動したければできる状態にはなったのだ。
行動に移すことすらできなかった夢が,いまは行動に移すことができるようになっている。
強くてニューゲーム? あるいは倒せないボスを倒すためにひたすらレベルを上げ続け,
いつからかレベル上げが楽しくなって何のためにレベルを上げていたのかわからなくなったか。


どうすればいいか?を聞く段階ではない。どうしたいか?なんだ。
だから真実がどうとか言っている。18年も眠っていた夢が真実なのか知りたいんだろ?
もし真実かどうか確かめられれば…真実であるという確証が持てれば,
どうしたいか?も決まるはず。心が動き出すには, 脳からのゴーサインが必要なんだ。
俺は心だけでは動けない。


そして怖いのが,同時に叶えられない夢を同時に保管してしまっている可能性があること。
つまり,構造はこうだ。
はじめに夢Aがあったとする。夢Aはそれを見ている間はデスクトップで絶えず書き換えが起こる。
しかし, それはどうにもならなかった。しかし,作業したものを消すのはもったいないから保管した。
これはちょうどデータをフォルダに詰めて圧縮して保管することに相当して,
これをすることで, 夢Aがあったデスクトップに隙間ができる。
夢Aは保管されたまま展開しない。そのときにできた隙間に夢Bができる。
Aのデータは展開しないから,BはAを気にすることなく自由に話が進む。
しかし,夢Bもどうにもならない状況になったとすると,BにもAと同じ処理が施される。
AとBの圧縮フォルダができるわけだ。そしてデスクトップにまた隙間ができる。
恐ろしいのはここからだ。AとBはデータとして干渉しあっていない。
個々に扱う分には扱えるが, もしAとBを同時に解凍し同じデスクトップに並べてしまうと,
同じ名前をつけたファイルは書き換え・書き換えられが起こり,
AはAとしての機能を果たせなくなるかもしれないし,
BはBとしての機能を果たせなくなるかもしれない。


保管してしまったのはもうしてしまったことだから仕方がない。
あとは,展開されたひとつのデータが他からの干渉を受けないように,
他のデータは展開しないか消去してしまう必要があるかもしれない。
そこの部分が怖いんだと思います。こりゃ結構時間がかかりそうだ。
膨大なデータを調べ直さなければならない。