バナナ

夜ご飯、100円でバナナ一房が売っていたのでこれでいいかなと思ったんですが、
夕方食べて大学から戻ってきたらやっぱり今になってお腹が空いてきました。
いまからさつまいもの天ぷらで補います。


テレビをつけてみると報道ステーションで雇用の問題について話し合っています。
いつも思いますが日本はなんでそんなに就職できないんだろう…。
昨日も書きましたが、人材は不足しているはずなんですけどねぇ。
結局、企業側がお金がなくて人をたくさん雇えず、
少ない人数で大量の仕事をしなくちゃいけなくなってしまい、
残業時間の増大、酷ければ過労死とかにもつながるんでしょう?
なんでそんなにお金がないという話になってくるんだろう。
何に使えばそんなにお金がなくなるわけ?
企業にしてもなんでそんなに景気が良くないんだろう。
売り上げが芳しくない、つまり需要がないということにやっぱりなってくるのかな。
要らないものには例え1億円あってもお金は使いたくないと思いますが、
確かに1億円あっても僕の消費傾向は変わらない気します。
世の中に魅力のある商品なんてほとんどないんです。研究の方がよっぽど魅力的です。
まぁそんなことを言う人は数的に少ないのはわかりますが、
では大多数の人が消費をしているかというとそうではないから
不景気でお金がないという話になるんでしょう?
これから日本はどうなるんですかね。
自分だけ良ければ、というわけにはこればっかりはいかないからなぁ。
自分の身近な人も幸せじゃないと一緒に楽しめないわけですし。
第一、仕事がないなんて人生の楽しみがないのと同じじゃないですか。
一生懸命頑張れることがあるということが、どれだけ幸せなことか。
人間は社会にとってのエネルギーであるはずなんです。
僕は僕で、学問そのものの発展と、学問の文化としての継承を大切にしたいからこそ
この仕事についているのであって、ひとりひとりが使命感や自分の大切に思うことを見つけて頑張るべきなんですよ。
そのためにも、勉強をたくさんした方が絶対にいいです。
学問には先人の知恵が凝縮されているので、それに触れて、わかんないわかんない言ってしがみついて、
乗り越えることがどれだけ大切なことか。何かを乗り越えたという経験がない人はやっぱり可哀想です。
自分に自信が持てないですよね? そんなんじゃ何をやっても投げ出してしまうよう人物になりかねません。
そんな人物を企業は必要としますか?というとしないと思ってしまいます。
人に必要とされる人物になるには、努力なしには無理です。
使えない人材を取りたくないというのは企業にとっては当たり前ですね。
そうか、だから雇用の問題が浮上してくるわけか。ああ、納得してしまいました。
ただ大学を出ているだけとか、何の意味もないですよね。バカはいらん、と言ってしまえばそれまでか。


先日、とある線形代数のテキストを立ち読みしたところ、
このベクトル空間の次元を「求めてください」という問題が載っていました。
アホかと。
この話はよくある話ではあるのですが、つまり教員がお願いしないと学生は勉強してくれない、
とでも言っているかのような問題の出し方をしています。
完全に勉強への考え方が間違っています。
勉強は自分を高めるためにするのであって、お願いされているからするものではないと思います。
親に勉強しろと言われて勉強している子供達の絵が浮かんでくるかのような表現と言えます。
中学や高校の問題集で一部このような状況が起きていることは知っていましたが、
まさか線形代数にまでこのような悪夢が忍び寄っているとは…。
確か言い分は、「〜を求めよ」だの「〜を解け」だの問題の出し方が偉そうだ、ということだったと思います。
しかし今になって言わせてもらえば、それが高度であればあるほど、
答えを知る出題者はやはり、偉そうなんじゃなくて本当に偉いんです。
だから、命令口調でいいと思います。解け、と言われたら、
よっしゃ!解いたるで!というくらいに逆に意気込んでもらわないと困ります。
解いてください→しょうがないな、やってやるよ、という流れになれば立場が逆転しています。
別に勉強したくないんだったらせんでよい、という世の中じゃないとダメだと思います。
軟弱ものが育ち、できないくせに偉そうな若者が増えたら、企業としてはそれこそ、
うちの企業には来ないでください、とお願いすることになっても自然な流れと言えます。
もっと若者に試練を与えないとダメだと思います。
いつの時代にも必要とされるのは、不屈の精神や根性だと言えようぞ。
必ずしも勉強である必要はないと思います。企業はあなたの魂を見ています(ホントか?)。


タイトルはバナナだったはずなのに、話が変な方向に進みましたね(笑)