英文法を説明する文章に出会いました。
「go + 動詞」で「〜しに行く」という意味になる,というものです。
例えば,「go see 〜」で「〜を見に行く」,「go buy 〜」で「〜を買いに行く」
「go ask A to do」で「Aに〜するように頼みに行く」などです。
気になったのが「go + 動詞」という表現について。
もっと言うと「+」という記号について。
例えばベクトル空間,いや,そうじゃなくても例えば整数全体の集合などにおいて定義される演算「+」は通常可換です。
すなわち,次の演算法則を満たします:
a+b=b+a for a,b∈V or Z.
つまり,1+2=2+1のように足し算の順序に無関係です。
しかしながら,「go + 動詞」という表現の中に出てくる演算「 + 」は,
see go, buy go などにはならない(はずな)ので,こういう場合の演算「 + 」は非可換です。
英文法を説明する場合に演算「 + 」はとてもよく出てくると思います。
「make 人 + 動詞の原形」で「人に〜させる」とか。
中学校の段階でこういう表現は出てくる一方,
中学校までの数学で現れる演算「 + 」は可換なものしか考えていません。
真面目に考えると,「 + 」という記号の性質を可換なものとして算数・数学で扱ってきた生徒にとっては,
英文法の「 + 」という表現を可換だと誤解するような心配はしなくてもいいのでしょうか。
他にも「SVC」という英語の文型を説明する場合には,「S=C」の場合の文型である,という説明がなされます。
しかし,例えば「I am a student.」(私は学生です。)という文章において,
「私」は「学生」かもしれませんが,「学生」は「私」なんでしょうか?
「I am a student.」で「I = a student」を意味するのだとすると,
「He is a student.」でもある場合, 「He = a student」でもあって,
「I = a student 」かつ 「He = a student」より「I = He」の等式が成り立ちませんか?
これを回避するためには C を集合として,
ある c ∈ C が存在して, S=c が成り立つ,とすればいいのかもしれません。
そうすると,I = a student かつ He = a student というのは,
I= s_1, He = s_2,但し, s_1,s_2 はともに学生全体の集合の元だが
s_1=s_2 でないものを取っていると考えることができます。
というのはよく高校生とか大学生の頃に思いました。
…というか,英文法における演算「 + 」や記号「 = 」は数学のそれらとは意味が異なるというか,
きちんと定義がされていない気がします。演算「 + 」については「非可換であること」を明示すべきだし,
記号「 = 」はもっときちんと定義しないと「私=彼」という矛盾が生じます。
数学ではそういうことを避けるために,完璧な決まりごとを作るわけで,
そういうことをしないと本当は社会はめちゃくちゃになってしまうと思いますが如何でしょうか。