「強すぎる光」の正体

■「大きすぎる目標」。その正体とは
状況が色々整理されたので、心を怯えさせ、消し去るほどの「大きすぎる目標」の正体を明かそうと思います。
というのも、目指さなくて良くなったから、ほっとしているんです。さすがにね、目標が大きすぎますもの。
言えばその大きさをわかってくださると思いますので言います!
「大きすぎる目標」。「強すぎる光」。その正体とは、「早期卒業」でした!
通常3年間の博士課程を2年で卒業するシステム。それを指して「早期卒業」と呼びます。
恐ろしいですよね? 目標が大きすぎますよね? びっくりして、心が隠れちゃうのもわかってもらえますか?
1年が削り取られてしまうわけですから、「心が未来に飛ばされる」なんて表現もわかってもらえるでしょう?


博士課程の卒業条件は、実際のところはっきりとは決まっておらず、
「論文が3本アクセプトされればOK」説、
「国外の雑誌に1本アクセプトされていればいい」説、
「指導教官が充分な能力があると認めれば卒業できる」説等々、
教授陣の間でも明確な条件を定めてはいないのだそうです。
当然、学生側は何を目指せばいいのかわからないので、
さしあたって一番難易度が高い条件を満たしておくのが安全であるという考えに辿り着くのは自然ですよね?
そこで「論文3本アクセプト」が最初の目標になるはずなんです(注?)。


この視点に立ってみれば、D1で論文 2 本(+投稿中 1 本)はまぁ順調ではあるんでしょうね。
よくお茶に誘っていただける他の研究室の先生に状況を話したら、
「その3本の論文を持って外国へ行って来い! そして、残りの2年は寝てろ」と言われたりもしました。
「寝てろ」は冗談にせよ、嬉しいですよ。でもね。だからと言って「早期卒業」の称号は荷が重いです。
それだけの技量が身についているって自分が思えるんだったらいいですよ?
でも自分ではまず思えないんです。学振だって落ちてるし。
京都でちょっと成功したからと言って、論文 3rd を書くときにほとんど先生に手直しされなかったからと言って、
「早期卒業」は自分の想像力が踏み込めない。
「もっとゆっくり夢が見たかった」(2月22日の日記)
それがやっぱり正直な気持ちです。
もう一度この春から修士に入りなおしたような気持ちになって、新しい分野に飛び込み、2年間かけてそこから論文 4th をじっくり作り上げる。
そんなふうに、もっとゆっくり夢を見てもいいでしょう?


あれから2週間。「早期卒業」はなくなりました。
通常の卒業条件を満たしていれば「早期卒業」はできるものだと勘違いされていたようで、
本当の「早期卒業」の条件は、「D2の間に研究機関への就職先が決まっている」
という条件らしく現実問題として可能性がほとんどないそうです。
なんか、ちょっと、良かった。
自分の心に入りきる夢じゃないと、いろんなものを捨てなくちゃならなくなるから。
大体、僕が博士課程に進んでいる事が既に、一昔前の僕にとっては大きすぎたんですよ?
無理に心をこじ開けて「大きすぎる夢」を詰め込もうとしたら、
その光に照らされた時に生まれる自分自身の影が何をしでかすかわかりません。
それこそ、『例のあの期間』と同等の…いや、それを遥かに凌ぐ強敵が再臨し、心が乗っ取られていたかもしれません。


「早期卒業」というキーワードを意識して、2月22日近辺の日記を読んでみると、新しい発見があるかも。
というか、このキーワードを伏せた状態のものを読んでもわけがわからないですね。


【要点】 「早期卒業」はなくなりました。



注? もちろん論文の質の問題もあるから、1本でも充分な内容が詰め込まれているのであれば、
その1本に賭けるのも作戦のひとつです。目安として具体的にわかりやすい本数の視点から話をしています。