自分史2006年度版

■博士課程生活1年目のまとめ
2006年 4月 博士課程生活開始。『例のあの期間』の真相を語る。が、気持ちの上ではまだ引きずっている。研究生活スタート。
         東京理科大学にて通算 4 回目(修論発表会は除く)の講演。題材は論文 1st。
2006年 5月 とにかく研究。
2006年 6月 麦茶製作委員会活動再開。解析はなおも続く。
2006年 7月 分裂記念日(7月10日)。「40ページ分の研究成果を2つに分けて投稿してみよう!」という計画に。
         ティーチングアシスタント・プレゼンツ・レジェンダリー・イベント、夏の模擬試験実施。
         ここで、ひとつの目標に向かって協力できる仲間がいることを再確認し、暖かい気持ちに触れる。
         しかし、『例のあの期間』から付きまとっていた心の中の闇が最後の抵抗を始める。
2006年 8月 気持ちの変化からメールアドレスが変更。キーワードは『明日思い出になるいまを大切に』。そして「心の模様替え」開始。
         六甲山セミナーハウスにて通算 5 回目の講演。題材は論文 1st。
         論文 2nd の Introduction を書くために関連する分野の知識を収拾。
         ファイナルファンタジー12、クリア。バルフレアがかっこよかった。
2006年 9月 論文 2nd、 執筆完了。論文校正開始。
         趣味が掃除とランニングに変更。夏休みを利用して合計75km走る。練習の末、1日10kmノンストップで走った記録を作る(ベストタイムは1時間6分)。
         そのときの気持ちを【Memories Note】に刻み込むことで、気持ちが整理され、『例のあの期間』が真のエンディングを迎える。
         論文 1st、15ヶ月の査読審査期間を経て、国内の数学誌に無事アクセプト。
2006年10月 5年間続いたホームページが突如終了宣言。最終作曲は、オルゴール曲 『夏みかんの思い出』(School Band Pure)でした。
         論文 3rd、 執筆完了。それとともにスタイルをブログに写し日記再開。素敵な虹に出会い、そして、第4の戦いが始まる。京都大学で講演することが決定。
         六甲山セミナーハウスでの講演に関する講究録を執筆。
2006年11月 新企画 『院生親睦セミナー』 記念すべき第1回にて発表。謎の「セミナーズハイ」現象。ゼミは論文の校正が中心。
2006年12月 論文 2nd・3rd、同時投稿完了(もともとひとつの内容だったので同じ日に投稿したかった)。年内決着の目標は果たされる。
         1年前に「ドクター、行けよ!」と背中を押してくれた友人の結婚式で、偶然に偶然が重なり、友人のお母さんにお礼が言える。
         当事解けなかった修論のお題が、 2nd の道具によっていとも簡単に解き明かされる。
         京都講演のプログラムが届く。講演者15人中、13人は有職者(もしかすると14人とも有職者? 学生講演者はひとりだけ?)という状況にとりあえず笑う。
         『ゼロビデオ計画』始動。
2007年 1月 京都講演の準備が中心。スライド製作。講演練習。そして、投稿済みの 論文 2nd に進展がある。
         ティーチングアシスタント業務終了。みなさんお疲れ様でした!
         所属大学の年次報告書を執筆。2年間(M2&D1)の研究の足跡を再確認。そして、新たな研究分野に移るため、これまでの研究内容にピリオドを打つ。
2007年 2月 京都講演、本番。内容は 論文 1st 〜 論文 3rd までの総集編。結果は想像以上に成功。次の活動の舞台は南方の大陸・九州熊本県? I did it !
         いくつもの「ゴールにたどり着いた時にだけ見られる新しい夢」に出会い、そして心は揺れる…。自分が最も大切にしたい夢は? 一番守りたいものは?
         論文 2nd、2ヶ月の査読審査期間を経て、国外の数学誌にアクセプト決定!
         19日より、春休み突入。(春休み中もゼミを続行する気でいたらプロフェッサー・ストップ?がかかった。)
2007年 3月 そして再び未来に旅立つための準備を開始する(予定)