できないこと

■3日前の日記を読んで
3日前に自分に「先延ばし行為」禁止宣言をしたわけですが、これは
「いま自分にできること」と「いま自分にできないこと」の
境界線を明確にする能力を身に付けたかったんですね。
この2点に物事を分類していくことを考えるときに、
「時間」の概念にもきちんと注目して分類します。
つまり、「時間がなくてできない」というのは「できないこと」に分類します。
「時間があればできるんだけどいまは時間がないからできない」
というなんだか言い訳めいたカテゴリは心の中に作らないようにしたいんです。
そういうカテゴリの存在を認めない。もしそうなってしまいそうなものがあれば、
無理矢理にでも時間を作ってきちんとやり遂げるか、
もしくはすっぱりきっぱり諦めるかのどちらかの意味を与えます。


「時間」はすべての人に共通に同じだけ与えられているものです。
地球上のすべての人に対して1日あたり24時間という時間が与えられていて、
環境はひとりひとり違うにせよ、その平等な時間内にこなせないのであれば、
それは能力的にできないことと同じ。与えられた環境内でこなす能力がないと判断します。
時間内にできて、初めて「できること」というカテゴリに分類できると考えることにするわけです。


「時間がなくてできないのであればそれは能力的にできないことと同じ」と心の中で位置付けることによって、
「できないこと」になぜか自信が出てきます。
他の事ができなくなっているのは、数学に時間を使っているからだ、と思えばいいのです。
いままでは「できないこと」の定義があやふやで、
「時間があればできること」を「できること」だと勘違いしていた節があって、
「できないこと」を認めたくなくて、「時間があればやる!」と意気込んでしまったこともありました。
でも時間がなくてできなければ、それは結局「無駄遣い」ということになります。
お金とか時間とかいろんなものを「無駄遣い」していることになります。
ちょっと判断する力をつければそういうものはなくなるのに。
「時間がなくてできないのであればそれは能力的にできないことと同じ」。
だから、僕には以前できていたけど、いまはできないでいることがたくさんあります。
できないことがたくさんあります。それがあって、よいのです。


しばらくはこの考えで心の中を整理してみようと思いますが、この考えを使って、
「時間がなくてできなくなっているやりたかったこと」をなんでもかんでも諦めればよい、
というわけではありませんので、心の中のものを捨てすぎないように注意はしなくてはいけません。ただ、
「本当にやりたくて、なおかつ、いまやるべきこと」
「自分の好きなこととしてちゃんと心の中にしまっておきたいもの」
「衝動的にやりたいと思っているだけのもの」に振り分けることができれば、
3番目のものを振り払ったり寄せ付けない力につながって、結局、
大事なものを大事なものとして形のままに心の中に飾ることができるんじゃないかなと思うわけです。


■やるべきこと
じゃあ、いま自分がやるべきこととは何でしょう? それは、
「ひとつでも多くの論文を書き、人類の文化のひとつとして存在する数学の発展に生命力を使うこと」。
「すべてのことを数学の発展のためにせよ」とでも謳ってみます。
でも完全のこの精神に則って行動することが本当に良いことなのかはわかりません。
「すべてのことを数学の発展のためにせよ」の「すべて」にこだわりすぎると、
1日24時間数学みたいな究極的なやり込みプレイへと変貌を遂げ、
度が過ぎてしまう自分が生まれてしまう可能性もあります。
少し意味を和らげるつもりで、
「できるかぎりすべてのことを数学の発展のためにせよ」
くらいにしておけば、さしあたり安全でしょうか。
「心の模様替え」が始まった意味、時間の動かなくなっていた世界の時計の挙動、精神世界の構造。
「気になるなら、思いっきり気にしちゃえば?」という問いかけに従って、
気になることをきちんと気にします。
そして、自分の中で盛り上がっているときとか、
解けそうで解けないときのもうひと頑張りをするときに
「できる限りすべてのことを数学の発展のためにせよ」と思うことにします。



とにかく、「できないことを認識することによって、できることを見つめなおそう」という計画です。


■お部屋のお掃除
夜中に急に思い立って、20分くらい使って押入れの中を掃除しました。
今回も基本的には並び替えを中心に行ったのに、空間に余裕ができました。
最近は「押入れをオープンにしてディスプレイ感覚の見ていて癒されるスポットにしたいな」
と思っているので、そのためには余裕のある空間をまず作り上げなければなりません。


■投稿規程と格闘中
投稿規程に合わせるのがなかなか難しいです。
「こんな表示どうやってするんだ?」と疑問に思ってはネットで検索。
目がとっても痛いです。大学には TeX の本があるので良いのですが、家にいるときは、
これまで TeX でわからなくなったとき、全部ネット検索で済ませてきました。
ただ、欲しい情報を見つけるのは結構苦労することも多く、
そろそろ TeX の本を1冊きちんと買ったほうがいいのかなと思えてきてしまいました。
これが終わったら、しばらく TeX には触れたくないです。


投稿規程に合わせるために、さしあたり文字のフォントが大きくなり、
19ページから25ページに増えました。
投稿規程との格闘が投稿する際に一番大変な作業に思えます。
こればっかりは気分転換要素がないときついです。
いまのところは掃除が一番効果的で、さらっと気分をクリアにしてくれます。