English or Japanese?

■講究録
さらに講究録の差し替えを行いました。
「この空いているスペースに何か書くとしたら何を書くだろう?」
その答えはすぐに見つかりました。
〆切期間内に提出完了。


■出張
以前お伝えいたしましたが、2007年2月5日(月)〜2月7日(水)は京都大学へ出張し講演する予定です。
今日は卒業された先輩方が大勢いらしていたのでそのことについて話しました。すると
「じゃあ英語で講演するんだね」
との返答が…。そそそそそうなんですか?
先生は英語で話すなんてひと言も…あっ! 言ってた。そんな話題もそういえば出てた。
「こういうセミナーでは英語で話す人が多いけど、私は日本語で話しますと言って日本語でやる人もいる」
って言っただけで、この台詞は「日本語でやってもいいので安心していいですよ」という意味ではなく、
日本語でやるか英語でやるかという選択肢が
僕に委ねられた状態になっていただけのことだったのか。
そのことに気が付きませんでした。


ただ…どうだろう?
英語でやると決まったときに、できることがないわけじゃない気がする。
なんて言えばいいのかな。
「運命ならば、試してみようじゃないか!」
今、なんて言った? そんな心は昔の自分にはなかったよな?
こんな心、いつの間に手に入れたんだろう。これは、自分自身の心だっけ?
英語で講演するという想像はこれまでたくさんしてきました。
原稿を作るわずらわしさ。伝わらない、空を切る様な感覚。投げかけられる質問が聞き取れない場面。
そういった世界を、何度も想像上に作り出してきました。
何度も想像しているうちに、失敗を恐れる気持ちに少しずつ慣れ、
だんだん「そんなものは恐怖ではない」と感じるようになってきたのかもしれません。
もちろん、「さぁいますぐにやれ! 2分後にやれ!」と言われたら、
ただ論文を朗読するだけの意味のない講演しかできないさ。
だけど、来年の2月なら、まだ時間はあるよな。
うん。来年の2月なら、まだ時間はある。
今年中に原稿を書き上げて、あとはその原稿を頭に叩き込む。
台詞回し、呼吸の整えるタイミング、歩き方や目線、
身振り、手振り、素振り、声の大きさ、感情の込め方…
冬休みを使って徹底的に練習するんだ。


どうする? そんな時間を作るのも悪いことじゃないよな。
本当にやらなければならないのなら、逃げる理由はないだろ?
それだけの準備をする時間が許されるのなら、試してみるのも悪くない。
ただ、未解決問題4thの事を気にしながらやると、いいものはできない気がします。
まだ選択肢は自分に委ねられています。
ただ、「日本語でやる」という勝手な先入観が、大きく揺れ始めたのは事実。
どんな未来を作るかは自分自身に委ねられているんだよな。
1stのときはどうだった? あのときは、1回目の講演が日本語で、
それで完成してしまったから、新しく英語版を作るのが面倒になった。煩わしくなった。
日本語でいいんだし、わざわざ英語版を作らなくてもね。
そんな気持ちがあったのを覚えている。
だけど今はどうだ? 論文は1つじゃない。3つある。
だから、講演の内容としてはそれら3つを混ぜ合わせて、これまでと完全に異なるものを作ることになる。
つまり、原稿が何もない状態からのスタートであると考えていい。
じゃあ、初めから「日本語版は作らない」「英語版しか作らない」という気持ちで始めてみたらどうなる?
どっちみち原稿は作らなければならないんだから、英語で話すことを考えながら、原稿を作るんだ。
それは、英語版を完成させる結果を生み出すのではないか?
まだ、どうなるかわかりません。もう少し情報収集してみよう。
どちらを選ぶにしても、まだ情報が足りません。