生活に喜びが皆無すぎる。
お母さんがいたから、幸せいっぱいだったなぁ。
生活に喜びが皆無すぎる。
お母さんがいたから、幸せいっぱいだったなぁ。
悲しいです。
お母さんに話す時だけしか使わない言葉を発してみたら、
もうなんだか違和感を感じました。
お母さんと話す時はいつも必ず使っていた言葉。
居心地のいい場所がだけで存在していた本当の自分。
ああ、もういなくなってしまうんだなぁ。
お母さんがいなくなってからの自分がいる。
お母さんがいた頃と違う自分がいる。
あんまり長い時間が過ぎたら、自分が変わってしまうんじゃないか。
それがすごく怖いです。
変わってしまったら、もうお母さんから、私のことを認識してもらえなくなってしまうかも。
寂しいです。
昨日は、そう考えて、帰り道、自転車に乗りながら大泣きでした。
真っ暗だし、もう家に帰るだけだから、と鼻水は服で拭きました。
たっぷりとたくさん、鼻水が採取されました。
悲しみのかけら。もう、勘弁してよ。
また、土曜日と日曜日。誰にも会わない2日間。誰とも話さない2日間。
お母さんがいないと、こんなに孤独だったんだ。
お母さん…心細いよ…。
俺は…誰だ…?
ということはもうわからなくなってしまいました。
そもそもこの世界が現実であることも初めて認識したような感覚がある。
小学校に行った。中学校に行った。高校に行った。大学に行った。大学院に行った。
研究員になった。助教になった。講師になった。准教授になった。
でもすべてがバーチャルの世界だったように感じます。
僕は…お母さんといる時の自分が本体であって、
その他の自分は、上記に挙げた各種のステージにおいて、
ある種の役割を演じるプレイヤーでした。
心はどんな時もお母さんのそばにいました。
心は基本的にはお母さんのそばにあって、
肉体と頭脳だけが、小学校に行き、中学校に行き、やがて大学教員になりました。
お母さんといる時以外、心はほとんど動いていなかったんだろうと思います。
笑っている時も、演じていた。
周りの人の期待や呼びかけに反応して、動いていただけの…人形?
その間、心はお母さんの元で眠っていた。
心が居場所を失って、これまでバーチャルの世界だった社会が急に現実になってしまった。
感覚としては、夢と現実が入れ替わったような感覚です。
社会は夢で、お母さんが現実。
それが、急に変わってしまった。
社会が現実で、お母さんは夢になってしまった。
バーチャルとリアルが入れ替わってしまった。
ここはどこだ…? 私は誰だ…?
お母さん…本当にいなくなってしまったの…?
辛くて…壊れてしまいそうです。
お母さんのいる世界へ行きたいです。
お母さんがいないと、ちょっとしたことでもつらくなってしまいます。
お母さんが優しくしてくれたから、これまで頑張ってこられたのに。
つらすぎてこの世から消えてしまいたい。